自民党の高市早苗総裁が首相に選出されたことに対する反応として、立憲民主党の蓮舫参院議員が「そのリーダーシップが多様な声を反映する政治につながるのか」と疑問を呈した。山尾志桜里元衆院議員はそれに対し「女性総理だからといって多様性重視の政治を期待するのは属性差別では」と疑問を出し、高市氏の政策重視での首相選出を賞賛した。山尾氏は、性別に関係なく総理には国民の多様性と国家の一体性をバランスよく図ることを期待し、自陣を説得し中道リベラルな政策も実現できると述べた。
高市早苗総裁の首相選出に対する反応から見えるのは、多様性と政治的期待の歪みである。属性に基づく期待は政治リーダーの役割を誤解する可能性がある。政治リーダーシップは政策の実行力が求められるが、単に属性による期待に依存することの危険性を見逃してはならない。まず、多様性を実現するためには、政策そのものが具体的に多様な声を反映する構造である必要がある。次に、リーダーはその基盤を築くために現行制度の欠陥を見つけ、改革に取り組む姿勢を見せるべきだ。例えば、候補者選びにおける透明性の向上、政策決定プロセスにおける多様な声の積極的な参加、国民への情報提供の強化などが具体的な解決策と考えられる。最終的には、どのような属性を持つかではなく、どのようにその立場を利用するかがそのリーダーの価値を決定する。
多様性は内から生まれ、外から押し付けられるものではない。これこそ政治が進むべき方向である。
ネットからのコメント
1、蓮舫の多様性のいくつく先は選択的夫婦別姓制度でしょう。選挙の争点でもそこまで重要視されていないことを立民はこだわった。しかし、参院選の総括で立民は惨敗で存亡の危機などと連合は危機感を感じている。山尾氏の言うように女性首相だから多様性重視の政治を勝手に期待するのは、属性差別だと感じる。日本人は別に多様性を否定しているわけではなく、共存するための法整備の不備に対する不安わ訴えている。むしろリベラル政党が日本の文化、伝統を認めず、自分達の価値観を押し付けようとしているように観える。はたしてどちらが多様性を蔑ろにしているだろうか?
2、男女平等、多様性、グローバリゼーションという言葉を使う人ほど、差別を助長し、差別している事に、多くの日本人は気づいてるんだけどね。欧米はとかく、人種差別や権利を主張する人ほど、ナチュラルに差別主義者である傾向は昔からあった。日本もその表面的な権利意識と、意識高い系に見せたい妙な自己顕示欲の流れが入り込んで、おかしな事になってきたけど、日本人は内面に意識が向き、必ず自問自答を始めるので、気づく。
3、山尾さんはあまり好感持ってなかったけど、今回の高市首相に対したコメントは他の女性政治家やフェミニストに比べてマトモだなぁと少し見直しました。まずは初の女性総理総裁に祝辞をし、それから自分の主張をする。他の方々も見習って欲しい。
4、女性なのだから女性のために働いてもらわないといけない、と言うことを語る人がいるが、一国の長なのだから、どの属性の人を特別に優遇するというのは違うのではないか。それこそ差別だろう。福島みずほ氏が、女性なのに選択的夫婦別姓に反対していると批判していたが、女性は賛成して当たり前という考えが分からない。多様化と言いながら所詮は自分たちの主張以外は認めないというところが左派の政党の支持率が落ちている最大の要因だと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/ee6c5ac2a1f9917527ba2ff89272db04489e69cb,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]