自民党の河野太郎元外相は10月19日、自身のX(旧ツイッター)で見解を示し、特定の意見を議論から排除すべきではないと述べました。背景には、高市政権の官邸幹部が「日本は核兵器を保有すべきだ」との発言があったことが関連しています。彼は、核兵器保有のメリットとデメリットを議論し、結論を出すべきだと指摘。議論には広島、長崎の経験や国民感情も考慮されるべきと補足しました。
複数報道によると、同幹部は米国の核抑止力に懸念を示しつつ、NPTとの兼ね合いを課題として実現の難しさを指摘。河野氏はこれまでも核保有に反対してきたと述べています。

コメント:
今回の発言は、核兵器保有というセンシティブな問題に対する議論の在り方を考えさせられるものです。現状、特定の意見を議論の場から締め出すことは、かえって問題の本質を隠す危険性があります。制度の欠陥として、これまでタブー視されてきた議論をオープンにし、多様な視点を取り入れることが求められます。まず、核兵器の持つ抑止力の有効性やその倫理的側面、さらには国際社会との関係性などを包括的に検討しなければなりません。また、国民感情にも十分配慮し、情報公開を進めることが必要です。
最後に、この問題から見えるのは、議論の場を公平に保つことが如何に社会の健全性に寄与するかという点です。これこそが、未来の平和への道筋を照らす一歩となるでしょう。
ネットからのコメント
1、これについては河野氏の考えに賛成です。被爆国だからという主張も勿論理解します。ただ、日本に関しては、周囲を中国、ロシア、北朝鮮というならず者国家に囲まれている状況で、以前と比較してもそれらの国の行動は危険度を増していると思います。日米同盟があるとは言え、本当のところアメリカがどの程度の支援を差し向けてくれるのかもいざとなってみないと分からないと思います。真剣に議論すべきだと思います。
2、河野氏の指摘は極めて妥当だと思います。「核保有を議論すること自体」を問題視するのは、思考停止に近い。核を持つべきか否かは結論として慎重であるべきですが、安全保障上の選択肢として、メリット・デメリットを冷静に議論することまで否定すべきではありません。その議論には当然、広島・長崎の歴史や国民感情、NPTとの整合性も含まれるでしょう。
今回の件で本来問われるのは、核保有論そのものではなく、官邸中枢の個人的見解が対外的に誤解を招く形で表に出たという統治と発信管理の問題です。議論を封じることが平和につながるわけではない。必要なのは、議論の自由と、政府見解としての整理をきちんと切り分ける冷静さだと思います。
3、「特定の意見を議論からも排除すべきではない」はい。その通りで全面的に正しいので、以上で問題はありません。とはならないのが、日本のリベラルとかいう病気なんだよな。核保有自体は、国家運営に携わる人間であれば、絶対に避けて通るべきでない議論のタネだろ。賛成するか、反対するかは、個々人によって考え方は異なるとしても、議論すること意見を持つことを禁じて良いことなど何も無い。核を保有することでより平和になることは自明のこと。中国のアメリカに対する態度と、日本に対する態度、フィリピンに対する態度を比べてみろ、力がある国には嫌がらせすら出来ないで文句たれてるだけ。力がない国には、好き放題だ。相対的な力が劣るほど、中国は平和を侵してくることは明らかだろ。
何にでもクレームをつけて騒げば、それが間違ってても意見が通るキャンセルカルチャーは撲滅しないといかんわ。
4、議論すらさせないのは民主主義の自由社会ではない。言論弾圧や言論統制は断じてあってはならない。理想論や綺麗事ばかりでは日本の存続を守れない。日本の隣国は核武装国だらけ。中国、ロシア、北朝鮮の核ミサイルが東京や大阪などの大都市はむろんのこと、全ての原子力発電所にも常に照準を合わせている。隣国の中で味方のはずの韓国は敵か味方かよく分からない。日本は東京や大阪などの主要都市が核攻撃されたら国として存続出来なくなる。核武装して核による均衡状態を構築した方がいい。アメリカもいざという時にあてにならない。核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を多数建造してあっちこちの海に潜航させておく。そうすれば日本を攻撃したくともためるだろう。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/ba3b2c44bea83a76eaa87f9290a157998c5b6389,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]