事件概要:音楽プロデューサーの松尾潔氏は、7月31日号の「週刊新潮」に掲載された髙山正之氏のコラムについて、発表された新潮社の謝罪に疑問を示しました。問題となったコラムでは、外国人の日本国籍取得を巡り、深沢潮氏の名前を挙げて「日本も嫌い、日本人も嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」と記載されており、これが差別的表現とされました。
深沢氏は4日に記者会見を開き、新潮社に謝罪を求めました。新潮社は公式サイトで謝罪し、深沢氏の心を傷つけたことを詫びましたが、松尾氏は謝罪文に髙山氏の名前が一切触れられていないことに不満を表明し、同社の対応に疑問を呈しました。
コメント:新潮社が発表した謝罪文からは、問題の本質が十分に認識されていない印象を受けます。謝罪文に髙山正之氏の名前が一切挙げられていないことは、同社がその差別的表現を認めたくないことを意味しているのでしょうか。言論の自由を尊重する一方で、差別的発言に対する責任を取らない姿勢は、企業としての責任感を欠いています。まず、書き手への配慮を強調するのではなく、実際に問題となった表現に対する明確な謝罪が必要です。新潮社は、透明性を持った対応をすることで信頼を回復できるはずです。
具体的には、髙山氏への明確な言及と、社内での差別に関する教育・意識改革が求められます。人権を尊重する姿勢こそが、今後の出版業界の信頼を築く道となるでしょう。
ネットからのコメント
1、当該コラムの是非はともかく、帰化証明書を交付する際、日本も米国に倣って日本国旗に敬意を払い忠誠を誓う宣誓式を導入すべきだと思うけどね。勿論、国会議員の帰化歴公開は必須。日本国籍取得後の「日本名」使用はいいとしても、「日本も嫌い、日本人も嫌い」が事実なら、そもそも帰化を認めるべきじゃないでしょう。
2、そもそも著者でなく新潮社に謝罪を求めたのは深沢さんなので、それに応じた新潮社が著者不在の席で名前を出してどうこう言うわけにはいきませんよ。松尾さんは山下さんとの件でも、当事者ではない方を大きく巻き込む形で見解を出すべきと批判を構成していましたが、社会への漠然とした不満を個別の事案に乗っけて批判しようとするから、批判される相手も論点が自分から遠すぎて相手にできなくなるんじゃないかと思いました。深沢さんは(深沢さんにとって)確信犯的な著者に抗議しても泥沼になるだけなので掲載した新潮社に矛を向けたわけでしょうし、その新潮社が自社の編集方針に対する謝罪の場で著者批判をするのはどう考えてもおかしい(掲載したのは新潮社で著者批判するなら掲載時点で編集長名ですべき)ので、この松尾さんの批判は的が外れてると言わざるをえません。
3、本人は、自分の意見として書いたので、それに対して何かするかは、被害者の人が本人に求めた場合だと思います。今回は出版社に求めたのでしょうし、出版社の責任はありますから違和感はないかと思います。
4、週刊新潮で長年続く、高山氏と櫻井よしこ氏のコラム。毎週内容は違えど、前者は中国・アメリカ・朝日新聞、後者は中国・アメリカ・現政権への痛烈な批判で一貫している。(櫻井氏は時々安倍晋三大好き・安倍政権絶賛をはさむ)新潮社自身の編集方針だろうが、そろそろ飽きが来ていて、書き手を交代させてもいいのではないだろうか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d6ec84aff894081381d8f2d302ad6f867fceff42,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]