霜降り明星の粗品は19日、自身のYouTubeチャンネルで笑い飯の哲夫への批判的な動画を公開しました。両者は「女芸人No.1決定戦 THE W 2025」の審査員を務めており、哲夫がラジオで粗品のコメントが長いと指摘したことが発端です。この意見に対し、粗品は哲夫のコメントが少なかったことを逆に指摘し、「小心者」と断じました。
そして、哲夫のコメントに対する需要が低かったから出番が少なかったと結論づけました。

この状況は芸人間の個人的な意見の衝突であり、理性的な批判というより感情的な意見交換にすぎないという印象を受けます。そして、状況の主題はお互いへの批判にすぎず、社会や制度への影響はほぼないと思われます。そのため、この場合は「安慰型」を選ぶことが適切です。以下にコメントを示します。
人生には、言葉での衝突があることもありますが、これは人間関係を深める可能性もあると考えてみましょう。今回のようなどちらかが感情的になってしまう場面は少なからずあることです。自分自身も過去に友人と意見が合わず、険悪な雰囲気になったことを思い出します。しかし、その後の和解でさらに絆が深まりました。こうした経験を大切にし、未来に活かすことが新しいスタートになります。
どの場面でもお互いを理解し、尊重することが肝心です。これが次のステップへの鍵となるでしょう。
ネットからのコメント
1、時代と共に、色々なものが変わっていくものですが、古き良きものは残していきたいと思います。日本人としての礼節もその一つかと。単純に先輩を敬えということではないのですが、だからと言って、荒れた言葉を投げかけてよいとは思えないのです。粗品氏を見ていると、悪いものを壊すと同時に良いものも壊してしまっている気がします。
2、まずそもそも粗品だけ長いコメントが許されたのは、粗品が審査員を打診されたときにそういうスタイルが許されるならやりますよと事前に確認した上で番組スタッフ側からも許可を得てのことです。これは番組の起爆剤として粗品を審査員に抜擢する上での番組側の決断だったと思いますが、じゃあ他の審査員が同じようなコメントや評価ができないのかというとそれはないと思います。笑い飯の哲夫さんや麒麟の川島さんアンガールズの田中さんあたりなんかは粗品と同じように本当はもっと深い分析や考察が絶対にできるはずですが、もしみんながみんな同じように長々とコメントしていては番組が成り立たないので番組が成立するようなスタイルをとっているわけです。
他の審査員のコメントは需要がないから少なかったとか、不満があるならもっとしゃべればいいとか、そういう身勝手な発言は大人な対応に終始している他の審査員に比べて稚拙さを感じてしまいます。
3、過去に松本さんがM−1について語ってた事が有りました。 真剣な賞レースの場では有るけどもその前にテレビ番組でも有ると。審査員がふざけて笑いを取るなとか言われるけど、番組として成立させる為には冗談を挟んだりする事で会場のお客さんの緊張感を解き、笑える雰囲気を作る。参加者もやりやすくなるし、その結果視聴者も楽しめるようになる。それが司会者や審査員の仕事でも有ると。哲夫さんが冗談を言ってた事を非難してましたが、粗品さんがやった事はまさに真逆。審査としては間違って無かったとしても全体で見たらどうなんでしょうね。
4、粗品、芸人以前に人としてアウトー。W自体、レベルがイマイチだったのは否めないが、演者に対してならともかく、一般人である観客や視聴者までこけ下ろしマジで不快だった。「オレはこんな場でここまでの毒を吐けるほど大物だ」ってアピールし自分に酔ってんのか?嫌悪感しかない。
それに飽き足らず、先輩に対して無礼極まりないコメントし救いようが無い。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/0c6aa0fb09f6d8157745454342f1b5a2b0c3ee13,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]