1945年、太平洋戦争末期に米軍は日本を対象に大規模な空襲を行い、67の都市を焼き払った。特に焼夷弾を使用した無差別爆撃が行われ、都市がほぼ全焼し、一般市民の被害が甚大だった。これらの空襲により、約40万人の市民が命を落とし、都市の文化的・歴史的遺産も失われた。アメリカは当初、戦争の早期終結を目指して軍需施設を攻撃することを計画していたが、後に都市の無差別爆撃へと方針を転換。
最終的には東京大空襲などの空襲が実施され、多大な人的被害を引き起こした。
戦争の終結を早めるために選ばれた手段が無差別爆撃であったことは、戦争の非人道的側面を強く浮き彫りにしています。日本の民間人が戦争の最前線ではなく、戦争遂行能力を奪うために標的にされ、その犠牲となった人々は40万人にも及びます。特に焼夷弾による空襲は、戦争の慣習に反する暴力的な手段であり、多くの市民を無差別に巻き込んだ暴力です。
この非人道的な行為が行われた背景には、戦争の長期化に対する焦りと、科学的実験に基づいた戦略的判断があったことが指摘されています。焼夷弾の使用により、戦争の早期終結を目指すという意図があったとしても、その過程で無数の命が犠牲になったことを無視することはできません。
私たちは、このような歴史的な出来事を深く学び、二度と同じ過ちを繰り返さないようにするためには、戦争の影響を受けた民間人の命の尊厳を最優先に考え、戦争の終結に向けて他の方法を模索するべきでした。
ネットからのコメント
1、大戦終盤は総力戦であり、国家の産業国民全てが戦いに動員された。その全てを叩き潰すのが目的だから戦時法でも犯罪とされる民間人虐殺や施設破壊は正当化される。非人道的な焼夷弾攻撃だろうがイヤそれこそ核兵器による人体実験もどきの大虐殺ですら戦争犯罪として裁かれることは無いただしそれは戦勝国の特権であり敗戦国にそれを言う資格は無い。そこを間違ってはいけない。今の国連の拒否権を持つ安全保障理事会常任理事国を見ればわかるとおり、戦勝国というのは次に負けないかぎりいつまでも戦勝国なのだ日本は戦争に負けたのだ。そのことを改めてキチンと自覚し、軍事拡充や非常時防衛体制、場合によっては核武装も含む自主防衛整備をして日本を攻撃する国が出てこないように、万が一戦争になったとしても負けないようにする体制を作ることの方が重要だ
2、騎士や武士の時代ならともかく、近代戦争に紳士的な戦争はない。勝つ事が全てだ。敵の継戦能力を削ぐために後方を攻撃するなど、素人でもそう考える。この記者はそれが卑怯だとも言いたげだが、ロシア/ウクライナを見ても既に欺瞞の応酬、かつて日本も「聖戦」だと国民を鼓舞した。繰り返すが勝つ事が全てだ。アメリカがどうやら信頼出来るパートナーと言えない状況になってきた。侵略戦争を仕掛ける能力までは必要ないが、国防については今大きな岐路に立っている。特に海防力はもっとあっていいし、今更だが重要施設のグーグルマップはモザイクをかけた方がいい。外国に威嚇されても動じない体制が必要だ。
3、結局のところ米軍は日本軍を打倒して戦争に勝ったのではなく、標的を民間人へ向けて、その虐殺によって日本政府に降伏の揺さぶりを仕掛けて戦争に勝ったのである。この蛮行は現代の戦争においても民間人への無差別攻撃の既成事実化の屋台骨になっている。米軍は空襲以外にも戦時中には様々な非人道的な戦争犯罪を犯しているが、結局それらも一切処罰されることはなかった。
「とにかく勝てばすべてが許される」という既成事実が確立したことで現代でも平然とやったもん勝ちのやり口が世界的に横行している。国際社会が何を言おうが西も東も馬耳東風。大艦巨砲主義の幻想を航空機で打ち砕いたのは日本だが、結果として自らの大艦巨砲主義も敵の航空機によって打ち砕かれた。米国もそんな諸刃の剣によって、これからその代償を被ることになると思う。栄枯盛衰の法則には古今東西の歴史でも逆らえないことは証明されている。
4、カーチス・ルメイに日本は勲章を出している、というのを、未成年の頃に東京大空襲の生存者への体験談を読んで知り「そんな馬鹿な」と思ったのですが、昭和天皇は、勲章の等級的には親授するところ、「親授を拒否」されていた、というのを調べて知りました。国家間外交には、パワーバランスだの強い国の発言権が強くなる、とかがどうしてもあるのでしょうけど、「いくらアメリカの保護国に近い状況でも、そこまではできない」という「良い意味での誇り」が表面化したケースなのでしょうね
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/b1101c33b8ba4abae2cf8540e53cfce0466f12d8,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]