1931年の満州事変に端を発し、日本は「満州国」を建国し、国策の下で多くの日本人農民を旧満州(現中国東北部)に移住させました。橋本克己さん(89)はその一員で、当時は家族7人で移住しましたが、厳しい生活環境と戦争の影響により、橋本さん以外の家族は全員命を落としました。国の政策による「東三河郷開拓団」の悲劇を語り継ぐ橋本さんは、次の世代にそのむごたらしさを伝える使命を抱いています。
ただ、侵略者としての側面もあったため、話すことの難しさもあります。
戦争は個人の人生を無情に翻弄します。橋本克己さんの経験は、そんな戦争の残酷さをまざまざと示しています。戦争政策によって約束された地上の楽園は、現実には湿地帯で、その結果、多くの日本人が命を落としました。これは個人の選択の問題ではなく、国家政策による犠牲であり、誰もが対岸の火事と済ませてはならない問題です。大切なのはこのような悲惨な過去を忘れず、誤った政策や不当な戦争を許さないということです。具体的な対策として、まずは教育現場での歴史教育の徹底と、次に国際的な情報共有が必要です。また、戦争被害者に対する実質的な援助と心のケアも求められます。過去を教訓に、真の平和を築くためには、個人の声に耳を傾け、社会全体でその責任を共有することが不可欠です。
橋本さんの証言は、その一助となるでしょう。
ネットからのコメント
1、侵略者か被害者かと問われれば、間違いなく侵略者ですね。日本は当時間違ったことをした。これはもう潔く謝罪すべき出来事です。こんな間違ったことをした日本を語り継いで欲しい。悪い事した事に対して、もうこんな事二度としないように、よく若者に諭して頂きたいと思います。
2、うちの親戚も満州に送られたが途中から家族ともども引き返してきて村で数少ない生き残りになった。出発前から軍はもちろん、村役場、市役所、挙句は県庁の職員が毎日のように渡満を説得に来ていて、その中で、役人は誰一人中国に行ったことがないことがわかり、書類だけで話を進めた。不安や心配は根拠のない説明ばかり。そして、中国国内移動中にみた景色や人の様子がどうしても納得できなかった。日本人は嫌われ、無駄な苦労をしてるとわかり、無我夢中で折り返してきた。戻ったときは村八分に遭い、警察が情報を漏洩しないように監視もついたらしいが、ほどなく終戦。以来、役人の言うことは信じなかったので減反にも協力しなかったという武勇伝を残した。
3、満州は、中国から見れば間違いなく侵略者で、今のロシアより悪い。でも国のおいしい話しに飛び付いて、最後にハシゴを外された人達は被害者です。悪いのは、傲慢な当事の軍と政府です。戦争は破壊と憎しみしか生みません。政治家の反戦·平和への行動は靖国参拝ではなく、日頃の活動で示してほしい。
4、39歳です。
今の私たちが生きているのは、先代の犠牲があったからこそ。生かされてる。日本が敗戦を迎えず、ずっと抵抗してたら、 おじいちゃんもいない。 おばちゃんもいない。 お母さんも、お父さんも生まれてきてない。 私も、息子も、存在しなかった。 私たちができることは、このような過ちを繰り返さない。絶対に戦争をしない。 憲法九条を守り抜くことだ。 日本全国、世界中で亡くなった方へ。合掌。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/31681a4a51f1445b9da619378d5e20c76477fba5,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]