公明党の斉藤代表が「多数を持っているから決めるのは乱暴な進め方だ」と発言したことで、ネット上で議論が巻き起こっています。彼の発言は、多数決という民主主義の根本的な仕組みに対する否定として受け取られ、一部のユーザーは矛盾を指摘する声を上げています。この指摘は、公明党が以前与党として多数派で政策を決定していた時とは異なる姿勢に対するものです。
野党に転じた今、彼らの発言が変わることに対する疑問が残り、それが説得力の欠如として批判されています。
斉藤代表の発言は、議会制民主主義の基本である多数決の否定として理解される危険性があります。彼の言葉には、以前与党として政策を推し進めていた際の姿勢との不一致があり、信頼を損なう結果を招いています。まず、発言の一貫性の欠如を認識し、言葉が持つ重さについて再考することが必要です。次に、どのように民主主義の基本原則を尊重しつつも柔軟な対話を促進できるか、具体的な議論を求めます。最後に、制度自体により透明性と多様性を持たせ、対立ではなく協力の機会を増やす方法を探る必要があります。公明党は、意見転換の理由を明確に伝え、国民との信頼関係を再構築しなければならないでしょう。多様な視点を取り入れ、新たな政治風土の醸成に寄与することが求められています。
ネットからのコメント
1、今は自民党と日本維新の会が連立を組みましたが、ここに国民民主党が入っていれば過半数を持った安定した政府が実現していたんです。民主主義は数の原理で動きますから、もしそうなっていたら長期政権も夢ではなかった。
公明党が常に自民党が前に進もうとするのを、たもとを引っ張り止めていた部分があるんだろうと想像しているのですが、そのタガが外れたんだから日本のため日本国民のための政治が前に進みやすくなったんだろうなと喜んでいるんです。公明党さんは野党になって初めての国会、与党時代と少数野党になった立場の違いひしひしと感じておられんだろうと想像しています。
2、そもそも斉藤代表の発言には違和感しかない。それは、おそらくどこかに「嘘」やごまかしが混じっているからだろう。彼は「多数を持っているから決めるのは乱暴な進め方」と述べたが、これは民主主義の根幹である多数決の原理を否定するものに等しい。しかも、公明党はこれまで四半世紀にわたり与党として「多数派」の立場で政策決定を主導してきた。その当時、少数意見を軽視してきたとまでは言わないが、今さら「乱暴だ」と言うのはあまりに都合が良すぎる。政権から離れた途端に立場を変え、被害者のような口ぶりで語るのは、政治家としての誠実さを欠く。要するに、自らの責任を隠しつつ、野党としての立場を正当化しようとする“ポジショントーク”に過ぎない。
発言に一貫性がなく、信念も感じられない。国民の多くがその不自然さに気づき、「何か裏があるのでは」と思うのも当然だろう。
3、自分達の言い分が採用されないからと言って、乱暴とするのは不快感を持たれて当然。連立の中でも採用されず、野党になれば、さらに難しいのはわかっていたはず。統一教会の問題以降、企業団体献金よりも、宗教の政治関与の方がイメージは良くない。自民党が思ったよりも早く、維新と連立政権樹立で焦りがあるように思う。
4、斉藤 鉄夫って人は、もう完全に煮詰まっちゃっていて、自分の発言が何を意味するかも自覚出来なくなっているようですね。 国会の政党の代表が、民主主義を否定しちゃってんだからね。 中国の大使に言われた事って、公明党議員にとっては、冷静さを無くしてしまうほど、もの凄く衝撃的で決定的な内容だったようですね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/e688318c3be165b52ef85f78bfc4bfe39e36b94c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]