事件概要:1985年8月12日、日本航空123便が群馬県御巣鷹の尾根に墜落し、520人が命を落とした。翌日、陸上自衛隊の岡部俊哉氏(当時26歳)は第一空挺団の小隊長として現場に向かい、捜索と生存者の救助を行った。午前10時45分頃に生存者発見の一報が入るも、現場の状況に困惑しながらも、午後1時半頃には全員の救助を完了。
その後、岡部氏はヘリポートの設置や物資搬送を行い、遺体と隣り合わせで仮眠を取ることになった。任務終了後、岡部氏は心的な異常を感じ、当時は「急性ストレス障害(ASD)」の認識がなく、辛い経験を周囲に明かせなかった。後年、この体験がメンタルヘルスの重要性を認識させるきっかけとなった。
コメント:この悲劇的な出来事が引き起こした心理的な影響は、当時は認識されていませんでしたが、現在では精神的ケアが欠かせないという認識が進んでいます。岡部氏が現場で経験した深刻な状況、その後に襲った心の問題は、戦場や災害現場における過酷なストレスがいかに心身に影響を与えるかを示しています。自衛隊がその後、メンタルヘルス対策に力を入れてきたことは、極限状態での心理的負荷がどれほど大きいかを反映しています。現場での任務を果たし続けることが求められる一方で、心のケアが後回しにされることはあってはならず、今後もその意識を社会全体で深めていかなければなりません。
ネットからのコメント
1、日赤の看護師です。この時のお話は、先輩看護師の手記から拝見させていただいています。当時のご遺体の悲惨さ。私たち日赤看護師は災害救護とご遺体の管理も任務としてありますが、当時は他の組織の看護師たちも参加したが、結局みな帰ってしまったと。残ったのは自分たちだけで、悲惨な状況の中「それでも、ご遺族の方の思い」を考え、部分遺体でも「体」を段ボールで作り、面会時のショックを最小限にしたと。私たちだけではない、自衛隊の方も、相当に辛い思いをされたことでしょう。それだけ悲惨な事故だった。
2、事故当時、私は小学生でした。当時はよく分かっていなかったけれど、以来、飛行機に乗るのがちょっとイヤになったかも。今でもちょっと抵抗があります。墜落現場は地獄ですよね‥。けれど空挺団の小隊長ですもんね、先頭に立って任務にとりかからないといけませんし、普通なら重圧の中、まともじゃいられない。そんな中で任務遂行された岡部さんはすごいです。
3、上野村の国道をドライブしていたとき突然開けて整備された道になるところがあった。
御巣鷹が近いんだと思った。陸自の皆さんは大変な仕事を遂行されて本当にお疲れ様です。
4、小規模ながら、日々の鉄道職員や救急現場で働く人達は同様の光景を目にする事もあるのだと思います。本当に頭が下がる思いです。そして500人が密集して亡くなっいる現場というのは、たとえ戦場であっても滅多にないと思います。輸送機の定員はもっと少ないですし、地上戦の場合はもっと広範囲に部隊が分散していると思うので。40年前はまだ、ストレス障害をケアする体制は十分でなかったと思いますから、本当に大変だったと思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/bfa9cc95f6d0c6f7e2698e6e4af6222ed3cda348,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]