1985年8月12日、日本航空123便が羽田空港を離陸し、約44分後に群馬県上野村の山中に墜落、520人が犠牲となった。事故の原因は相模湾上空で垂直尾翼の大半を失い、油圧系統が破壊されたことによる操縦不能。機内では乗客が遺書を書き、乗員は酸素マスクを使わず操縦を続けた。最終的に機体は群馬県で樹木に接触し墜落。調査報告では、乗員の会話の不自然さや事故原因に対する疑念が残り、報告書への信頼性が問われている。
事故調査報告書が事故の真相を完全に明らかにしていない中、ボイスレコーダーの音声からは操縦士たちの状況への疑問が浮かび上がった。このような不透明な調査結果に対しては深い懸念を抱かざるを得ない。まず、事故調査における矛盾と情報の欠如は社会的に許容できるものではない。さらに、ボイスレコーダーにおける異常な点が明確に説明されておらず、原因解明が後回しにされていることは、事故後の対応に対する信頼を損ねている。
今後、事故調査の透明性を確保し、再発防止に向けた実行可能な対策を講じるべきだ。具体的には、調査の過程を公開し、専門家の意見を多角的に取り入れること、操縦室の会話と技術的な解析を徹底的に照らし合わせること、そして事故後の情報公開を迅速かつ正確に行うことが必要だ。社会全体として、事故調査を信頼できるものにするための強い意思を示すべきだ。
ネットからのコメント
1、そりゃあ冷静に会話出来る状態ではないでしょうに油圧全部抜けちゃったんですからハイドロプレッシャーオールロストで全身凍りついたと思いますねそんなあり得ない と思ったでしょうクルーはとにかく機体の安定保つのになりふり構わず全力尽くていたんでは冷静に会話など出来るような状況ではないだろうな絶体絶命の状況で最後まで諦めず頑張って奮闘していた機長や副操縦士 機関士 CAさんらは讃えるべきでしょうクルマで言えば観光バスが高速走行中ブレーキもパワステも効かなくなり減速もできず操舵も困難蛇行しながら辛うじて高速で走り続けてる様な状況でしょうからね
2、この事故の記録全てが「文書保存期間満了」という事で全て廃棄されているんだよね確か。こう言ったものは当然に歴史的公文書として永久保存扱いされるべきで、本当に皆気が付かなかったの?と思う。現場のお役人達もそこまで馬鹿じゃないと思うんだよな。そこら辺も陰謀論が出てくる背景の一つ。この事故のボイスレコーダー、何度か聞いた事あるが、墜落直前、機長と思われる声で「もうダメだ」と聞き取れる所がある。
最後の最後まで機体を立て直そうと頑張ったが叶わなかった無念さが痛い程伝わって来る。その後、シミュレーターで事故機と同じ状況を再現し、エンジンコントロールだけで無事に着陸させられたらいしが、それは全体の破損状況を把握出来ているからだしね。当時の操縦士の方々は出来る限りの事をしたと思う。
3、ボイスレコーダーの解析には少なくともB747型機の操縦経験のある人と航空機関士経験のある人の意見が必要。自動車事故の調査をする人の中に運転できる人が一人もいないなど考えられないのと同じ。聞き取りにくい部分は事故にあわれた乗員と会話経験のある人(日航独自の言い回しがある可能性もあり、関係者と言われても原因究明のため)に聞いて貰う必要があるはず。この事故調査報告書にはこの他にも科学的でない部分があり、相模湾の海底捜索を含め今からでも調査再開が求められる。亡くなられて方々やご遺族のためにも誠を尽くしてほしい。
4、いくらベテラン機長と航空機関士が乗っていたからといって、普通ではまずありえないあの状況で果たして正常な会話が出来て瞬時に的確な判断が出来ただろうか?当時の航空事故調査の体制は現在と比較して脆弱なもので、そのような事故調査委員会の調査があらぬ憶測や陰謀説を生む背景となった。
人類の技術はどれだけの尊い犠牲をはらわないと安全が確立されないのか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/84640e8b4eee25a43e96da6d98c49a4e5d6b87d5,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]