日本の戦後処理の大きな影を感じる事件です。台湾出身で日本兵として戦場に送られたスニヨンさんは、終戦を知らずにインドネシアのジャングルで30年間潜伏し続けました。1974年に発見され帰還したものの、妻は再婚しており、息子の努力で家族は再び一緒になりました。しかし、戦後の日本からの補償は不十分で、帰国後も多くの苦難に直面し、体調を崩して帰還から4年半で亡くなりました。
この話は、個人の悲劇であり、同時に日本の植民地政策とその後の対応の不備を浮き彫りにします。

この事件は、植民地政策の誤りとその後始末の不備への厳しい批判を浴びせるべきものです。彼のような戦争の犠牲者が生まれた背景には、日本の政策に根本的な欠陥がありました。まず、教育による同化政策と、台湾出身者を無理やり戦場に送り出すという人権無視の体制は、彼らの人生を狂わせたものでした。この問題を解決するには、まず第一に、過去の不適切な政策を公に認め、謝罪することが重要です。次に、適切な戦後補償を行い、歴史の教訓を未来に活かすための教育プログラムを強化する必要があります。そして、当事者やその家族が公平に扱われるような制度を構築すべきです。これを通じて、過去の過ちを繰り返さない社会を目指すことが求められます。
質の高い教育と公平な社会こそが、二度とこのような悲劇を生まないための最良の手段です。
ネットからのコメント
1、小野田寛郎さんが最後の日本兵とよくいわれるが、実はこの中村さんがあとで帰還していて、最後の元日本兵になります。台湾出身のため充分な恩給が支払われなかったのは残念です。
2、日本政府はこの人(今は故人になっているのでご家族含めて)に対して謝罪と恩給を即時すべきです。知らぬ存ぜぬは日本政府としては絶対にしてはならないし、日本名を付けて戦地に送り1人戦っていた事にきちんとすべきだと思う。(靖国にもきちんと祀ってあげるのが筋)30年もジャングル潜伏で日本のために戦ってくれた事に心から感謝します。多謝多謝
3、中村輝夫さんの帰国後は、本当に大変だったようです。台湾は、今でこそ親日国の様相ですが、戦後、国民党が支配し、戒厳令を敷いて、徹底的に反日教育を行いました。日本に協力した人は処刑されたり、禁固刑にされたり、大変肩身の狭い想いをして生きながられました。中村輝夫さんも、半ば「見せ物」のような状況に置かれたようです。
TBSは、昨日も呉正男さんのことを放送していましたが、日本人として太平洋戦争に出征した台湾の人たちに対して「ありがとう。お疲れ様でした。」と、一言言ってほしいだけなんだと言っていました。賠償金がほしいわけではない。ただ、ありがとうの一言がほしいというのは心の底からの声だと思います。
4、当時、台湾は日本になってから約50年で大半の人が、生まれながらの日本国民でした。日本になった当初はともかく、この頃は無理矢理感はなく、台湾地方の日本国民として暮らしており、日本軍に所属するのも特に違和感はなかったと思われます。中村さんも、日本へ帰りたいと当初言っており、その日本は台湾島のことを指していました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/577b82fa74bcb0a6cb2845deb879105819cce16f,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]