戦時中、視覚障害者は戦争への参加を強いられ、差別と苦しみの中で貢献をしていた。京都府立盲学校に勤務していた岸博実さんは、40年前から障害者の戦争体験を調べており、1937年の日中戦争時の児童文集や、1943年の講演記録などを通じて、当時の障害者がどのように戦争に巻き込まれたかを掘り下げている。特に能登半島では、視覚障害者が空襲を警告する防空監視哨員として活動しており、ある全盲男性は「耳で飛行機の音を聞き、敵機を識別していた」と証言。
しかし、同じ仕事をしていた他の人々が報酬を得ていた一方、彼には報酬が与えられなかった。この体験を通じて、戦時中の障害者がどのように社会的に差別され、同時に自らの価値を証明しようと必死であったかが浮き彫りになった。
岸さんは、このような歴史を掘り起こすことが、障害を持つ人々の社会的立場を理解し、共生社会を築くために重要だと強調している。
ネットからのコメント
1、戦争で悲惨な目に遭いました。だから戦争起こしませんってのはまだ分かる。ならいきなり隣国から宣戦布告を受けて攻められたらどうするのか?丸腰で「話し合いましょう」って武器を持った兵隊の前に出るのか?そんな事やる奴多分世界のどこにも居ないと思うけど、反戦主義の人たちに是非聞いてみたい。
2、音で敵を察知する聴音器ではなく聴音機はレーダーが未発達な時代は多くの戦争で使われているかなりポピュラーな兵器です。
日本軍は九五式大空中聴音機、九〇式大空中聴音機、九〇式小空中聴音機などを使用しており、昭和天皇が視察している有名な写真も残っています。現代でも潜水艦ではソーナーとして普通に使われていますし、ウクライナ戦争でも現役で使われています。戦争とはあらゆる資源を根こそぎ動員するわけですから、盲人の方もその聴覚を頼みに利用されたんですね。盲人の方が聴音機を使っていたことは知りませんでした、勉強になりました。
3、戦争記事には是非閲覧します 日本陸軍の満州進行や日中戦争のせいで日本にアメリカが石油輸出禁止等 日本が国として窮地になったのは事実です 日本が軍国主義になったのは大きな失敗だっと思います日本の軍国主義や日本陸軍の活動 日本国内の憲兵隊の活動は是非学校の教育の課題して学生に教えて下さい特に満州に渡った日本国民がソ連の満州進行でどれだけ酷い生活や撤退活動をして来たか女性や子供がソ連からどれだけ酷い扱いを受けた事 シベリア抑留の件も含めて歴史勉強の課題にして下さい
4、戦争ですから様々な弊害、間違いはあるでしょうし、補償や謝罪は必要です。
でも、忘れてはいけないのは、アジアを攻めてきたのは欧米であり、原爆を使用したのは米国です。これは、戦争ではなく虐殺です。戦争と虐殺の違いを調べてみましょう。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/2914206a7e5088dfc5343f0038b37ce211bb5d0c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]