1945年夏、日本の太平洋戦争末期、特攻隊の訓練基地として台湾の虎尾に送られた常川昭吾さん(97)が経験した出来事が描かれている。三重県松阪市出身の常川さんは、飛行兵として15歳で海軍に入り、訓練を重ねた。彼の同期が特攻出撃する際、その決定を受け入れ、兵器として用意された「赤とんぼ」と呼ばれる練習機による特攻任務が与えられた。
しかし、戦局の終息により、彼自身は出撃を果たさず終戦を迎えた。無謀な作戦と若い命が散っていくことを語り、平和の願いを込めた看板を掲げ続けた。
このニュース内容についてのコメント文:
太平洋戦争末期の特攻作戦は、無謀で痛ましい決断の連続でした。戦争という異常な状況の下、多くの若者が「赤とんぼ」などの練習機で戦場に送り出され、その中で仲間を失った常川昭吾さんの苦悩は計り知れません。彼の悲しみは、戦争の狂気とそれに巻き込まれた人々の苦難を示しています。常川さんが両親の顔を思い浮かべた瞬間には、多くの人が感じることのない恐怖と孤独があったでしょう。彼がかける言葉も涙に込めたその思いは、次世代に平和を訴え続ける力強いメッセージです。この記憶を共有し、戦争への再びの誘導を阻止し、平和を築く一助とすることが私たちにできる最良の行動です。
ネットからのコメント
1、特攻は史上最悪の作戦であったと思っています。当時の日本の環境をもってしても、軍の高官の行動が理解できない。若い人が祖国を守るという高尚な理想のもとで艦艇に突っ込みました。結果はほとんど効果はなかった。確かにKAMIKAZEとして米軍の中で恐れられましたが損耗率的には雀の涙だった。これらを賛美することは許されません。そして私たちはこのような作戦をしてはいけません。そしてこのような事をしなくても良いように国防体勢を整え、技術力を昇華させ、米英豪等の友好国と協力体制を維持していくことが大切です。
2、政治家が犯した外交失敗のツケを払わされるのは、ただ家族や友人と共に生きる日常を歩んでいる国民。昔はその「政治家(指導者)」を真に自由には選べなかったから仕方無い面もあるが、今はかなり自由に吟味して選べる時代。有権者の責任と権利の重さを、いま一度自覚して投票に臨みたいものです。
3、最近のトレンドに関するニュース記事へのコメントは多くても、この手の話についてのコメントはとても少なく、戦時中の事に対する関心の低さというか、他人事になっている様子が気になる。
こういう理不尽極まりないことが、80年以上過去に実際に起きていたことを多くの人がもっと知り、考えてみるべきだと思う。これが同じ日本か?という事実が過去には確かに存在していた。戦争なんか絶対に繰り返しちゃいけないんだ。起こしても、加わっても、起こされても。どんなに理不尽があっても形の上で勝った側の主張が正義になってしまう。負けた側の主張は理にかなっていても無視される。国単位では勝った、負けたの話で済んでも、関わったまたは関わらざるを得なかった者にとっては、例え戦争は終わってもそれで終戦では無く、人生が終わるまでその人の戦争は続く。そんな運命を背負う。関わった誰もを幸せにしない、不幸にするだけ。それが戦争という愚かの極み。
4、赤とんぼの正式名称は九三式中間練習機、赤とんぼの由来は機体がオレンジ色の保安色で塗られていて赤とんぼに似てたから平時オレンジ色の機体は追突事故防ぎ墜落しても目立ち発見を容易にするものであったこの赤とんぼ第1次世界大戦の複葉機みたいな外見で生産は容易、ミッドウェイ海戦以降消耗する搭乗員の大量養成の為に大戦後半大量に作られ残っていた。
だが大戦末期には動かす燃料も枯渇、日本本土で敵機の飛ぶ中搭乗員の養成ままならず漸く単独で飛べる訓練生を乗せ特攻に使われるようになった。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/39f6a480cbb0a0467fe2a02611ef7f53ee807bf3,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]