【事件概要】
明治大学教授・齋藤孝氏が、著書『折れない心は、言葉でつくる』の中で、世代間の価値観のギャップと「過去の武勇伝」が若者にどう受け止められているかを解説。齋藤氏は「昔ヤンチャしてた」という話は求められておらず、若者にとっては「痛い話」でしかないと主張。
また、経験談が押しつけになりがちな40代以降の態度に警鐘を鳴らし、謙虚さと向上感の共有が世代間の橋渡しになると説く。現代社会における「自己本位」の大切さも漱石の言葉を引用して強調した。
【コメント】
中高年が「昔ヤンチャしててさ」と語るとき、それは自己の正当化や優越感の押しつけに過ぎない。かつての逸話が“教訓”として通じる時代は終わり、今は聞き手のニーズを無視した発信がただのノイズと化す社会である。問題の本質は、年長者が経験知を「上から目線」で語ることが文化として許容されてきた構造にある。それは、経験を共有するのではなく、支配の道具にしてしまう制度的な老害構造だ。
では、どう変えるべきか?
①まず、「経験談は求められたときにのみ簡潔に語る」という自己規律を文化化する。
②企業や学校で「世代間ギャップ講座」を導入し、共感と聞く力の教育を推進する。
③SNSや社内研修に「5秒ルール」など実践的アドバイスを可視化して浸透させる。
過去の自分を誇るより、今の自分がどれだけ他人を理解できるかが本当の価値だ。自分語りでは人は動かない。人を動かすのは、聞く力と今の信頼である。
ネットからのコメント
1、自分たちもその前の世代もずっと年長者の武勇伝を黙って聞いて来たのに、なぜ今の世代から若年層ファーストになっているんだろう。年長者の話は間違っていても聞いて、黙って上司の尻拭いをしてきたのに、今の40代は武勇伝どころか良かれと思って少し雑談をしてもタイパが良くないと言われてしまう始末。昔の様なセクハラパワハラをなくすのは大賛成だけれど、年長者と若者が対等か若者の方が上の様な雰囲気で年長者が下手に出なければならない風潮は息苦しく思う。
2、その昔は「先輩の武勇伝を拝聴して、大げさに感嘆してやる事」が後輩の「心得」であり、あらゆる組織で、それが出来る事が「先輩に可愛がられる秘訣」と成り、或る意味「社会人のマナーそのイチ」だったのです。まあ確かに客観的に考えればバカバカしいマナーでは在りますが、組織を円滑に運用する為に当時は必要だった訳で、それを叩き込まれた最後の世代である現在の40代は「梯子を外された世代」であり、若者の皆さんは、哀れな先輩達の多少の「武勇伝」は大目に見て上げて下さい。
3、アラフィフの私は若い世代の子と話す機会もあまり有りませんが、ただ昭和時代の話を聞かれる事はよく有りますね。最近は昭和時代の映像を見て若い世代の子達が驚いたり「今では信じられない事を当時は当たり前の様にやっていたけど、それは何でしょう?」みたいなクイズ番組が有ったりするので、関心があるんでしょうね。ただ、ある程度話すと若い子達も何となくですけど「もういいや」って空気を出してくるので、そうしたらそれ以上は話さない様にして止める様にしています。
4、そういう人に限って後輩がちゃんとしたお説教をしたら、生意気だと言って怒り出したりする。
武勇伝を語る前後の話でそれだけダメだった。俺がここまで更生したってわけって言ってたやつでも怒り出す。めんどくさい先輩が怒り出すのをわかっていて、我慢して話を聞きながら先輩の納得のいくリアクションをして頷いている後輩からすれば毎回拷問なんだよな。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/8c203cb753bedf4a255f8b1f5b8ac1f68b2e4fc8,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]