国際オリンピック委員会(IOC)は12日、ミラノ・コルティナ五輪にて、ロシアの攻撃で亡くなったウクライナのアスリートたちを追悼するため、その顔写真をヘルメットに貼ったスケルトン選手ウラジスラフ・ヘラスケビッチ(27)を失格処分にした。ヘラスケビッチは競技開始直前に失格を告げられ、ウクライナチームはスポーツ仲裁裁判所への提訴方針を表明。IOCは五輪憲章を理由に「主義思想の宣伝を禁止」と説明。一方、ヘラスケビッチとウクライナ側は決定がロシア寄りであると批判し、追悼の意義を訴えた。事態は多くの涙と反発を呼び、ウクライナの外相もIOCを強く非難した。

今回の失格処分は、現代スポーツが抱える問題の縮図とも言える異常な決定だ。戦争で失われたアスリートたちへの追悼という行為が、ロシア政府との関係に配慮するかのように抑え込まれる構造には強烈な疑問を抱かざるを得ない。
IOCが掲げる「ルールに基づく公平性」そのものが、憲章の解釈次第で甚だしく不公平なものに転じる現状は目を覆いたくなる。
問題の本質は、五輪憲章が一律の規制を設けることで形成される「非政治」の空間が、政治的な圧力や影響を受ける具体的な状況で、正義を守る手段に欠けている点にある。さらに、国際スポーツ機関の独立性を強調する一方で、現実には地政学的な問題に対する無策状態が露呈している。
解決策としてまず必要なのは、追悼の意思表示を例外的に認める規範の形成だ。また、戦争被害を受けた国々に対する特別な競技支援枠の設置、スポーツの場での個別の倫理審査機関の設立が求められる。最後に、競技参加者がシビリアンとして守るべき信念を発信できる場を提供し、国際社会の不条理に光を当てる機会を増やすべきだ。
この決定を肯定する態度は、スポーツの本質である平和と人権の尊重を真っ向から否定するものである。戦争で犠牲になったアスリートの記憶は、五輪憲章の解釈ごときで埋もれるべきではない。スポーツが弱き者の声を届ける力を持つ限り、正義を貫く機関であるべきなのだ。
ネットからのコメント
1、個人的には、ロシアは許せないしウクライナを応援したい。ただ、感情論は横に置いて議論するべき案件ですね。これを有りにしてしまったらなんでも有りになってしまう。オリンピックは世界的に発信力が大きいイベントであるのだから、規制はしっかりせざるを得ないという事を、本人も周りもちゃんと認識しなくてはならないと思う。
2、ウクライナ選手の気持ちは理解できますが、ルールには根拠があるので仕方がないと思います。これが許されると、慰安婦像を示した某国がオリンピックに出場することも否定できなくなる。そういう主張を一旦おろしての平和のスポーツ祭典なのだからルールは尊重すべきだと思います。
3、気持ちはよくわかるし、共感もできるのですが…>今この五輪が開催できているのは、まさに(亡くなった選手の)犠牲があるからだ。そうなんですよ。今、オリンピックができるのは、悲しくも戦争等で命を奪われた歴史があった。それは事実。日本に住む私達が享受している平和は、先の大戦で犠牲となった方々の上に成り立っている訳でなのですよね。
だからこそ、8月6日や9日。15日は先の大戦で亡くなった方々を偲ぶ。スポーツにはルールがある。ルールにのっとった上で偲び出場することこそ、亡くなられた方への供養かと思います。
4、誰が考えても、選手が悪い。気持ちは分かるが、競技と追悼は全くの一体ではあり得ない。オリンピックは、政治的なメッセージを披瀝する場でもない。選手が競技で頑張ることが、国民の励みとなり、戦争犠牲者への追悼にもなる。それなのに、失格になっては元も子もない。国や国民が極限状態にあるのは理解できるが、選手は競技に徹してこそ選手だということを認識しなくてはならない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f89f81de43b4c71e379e0afd37f007a39a3b5b1c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]