第二次世界大戦末期の1945年8月、鈴木實氏が指揮する特攻作戦準備は沖縄の天候不良により中止され、その翌日には終戦が宣告された。戦後、鈴木氏ら日本軍は台湾で中国軍の監督下に置かれたが、中国軍は蒋介石の「以徳報怨」の方針を掲げ、穏やかに振る舞った。鈴木氏は中華民国軍から中佐としての待遇を受け、特別待遇を享受していた。ある夜、日本料理屋で中国空軍司令官の張中将に出くわし、初めて彼が日本語に通じ、かつ過去に航空士官学校に留学していたことを知る。
かつて敵対していた二人は、日本酒を酌み交わしつつ過去の因縁を振り返った。張中将は以前、鈴木氏による攻撃で敗北し降格されたことも明かし、再会に不思議な縁を感じた。戦後の複雑な人間関係が浮き彫りとなる瞬間だった。
戦争が生み出した敵対関係を越え、酒を共にすることができるまでの時間の流れ—それは平和への希望を感じさせます。戦後、日本の軍人たちは理不尽な苦しみを強いられたようですが、鈴木さんの経験が示すように、時にはかつての敵が理解者となり得ることもあります。人間は異なる背景を持ちながらも、共通の言語や文化、そして記憶を通じてつながっていけるのでしょう。これは、多くの人々が喧騒の中で真の平和を求め、生き抜いてきた証です。過去を振り返りつつも、未来を見据え、恩讐を超える勇気を持ち続けることが、より良い世界を築くための力になるのではないでしょうか。
このように人間性が発揮されるエピソードは、今後の私たちの生き方にも深い示唆を与えてくれます。
ネットからのコメント
1、昔台湾を旅行した時に戦時中日本人女学生と一緒に勉強して日本語を普通に話す台湾人のおばあさんと仲良くなり何度か文通したり台湾に会いに行った。おばあさんの父親は警察官で日本人が撤退した後は仲良くしてた日本人が土地を全部くれたので戦後は裕福に暮らす事が出来たのは日本人のお陰だって言って。色々接待してくれた。当時国民党軍が入ってきたら治安が悪化して日本軍がいた時の方が治安は良かったって事も言われてたし。これからも台湾が民主独立国家親日国である事を期待します。
2、「田鶏」と書いてカエルの唐揚げとかの中華料理がありますよね。食べてみたら鶏もも肉よりもアッサリとプリプリした食感で美味しかったです。しかしカエルの脚がまんま揚がってますから、初見は口に入れるまでは勇気が必要でしたし、目を閉じて戴いてると存外に美味しいかったのには驚きでした。
3、戦犯訴追や台湾の2.28事件こそは悲劇だが、国民党軍と日本軍は終戦後いきなり友好的になり、現地で大した衝突や事件もなく武装解除と復員作業を完了させています。
こんなことなら、もっと早く手を結んでおけば共産党軍に勝てていたと思うのですが…
4、迂闊だったね(汗)お相手の懐が大きく、立派な御仁であって良かった。エリートとはこういう御方を言うんだな。言われてカッと怒鳴り散らさず、静かに振る舞い、自然に相手に気づかせ恥をかかせ諭す。恐れ入る。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/debd5ddadf173a2f40dd258f4ea9cbc3b3e15d4d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]