この問題は、単なる「忙しさ」の問題ではなく、教育現場における境界線の曖昧化が教員のメンタルヘルスに深刻な影響を与えていることが核心です。教員の精神疾患による休職者が7087人にのぼり、小学校教員が特に多いことは、制度的な欠陥の警鐘を鳴らしています。この曖昧さは、教員が子どもや保護者との関係で自らの職務範囲を超えて負担を抱え込むことを強いる、文化的な問題です。
教職員が限界を超えても仕事を続けようとするストレスフルな状況は、境界のない親切が育んだ一時的な安心感が長期的な問題へと発展している結果と言えるでしょう。この不安定な状態を改善するためには、学校としての役割と責任範囲を明確化し、管理職が積極的に「助けを求める文化」を育てることが必要です。また、子どもに自分で挑戦する余地を与え、教師自身および管理職が業務を分担して、教員の心身の健康を保護する仕組みが求められます。最終的に、境界線は相互の成長と教育の進歩を可能にする重要な構造であり、「不親切」という新たなアプローチは、より健全な教育環境を築く鍵となるでしょう。

ネットからのコメント
1、現役の高校教員です。保護者は自分の立場だけでクレームを言って来ます。子どもが保身のために親に言った事を真実として、担任にクレームを入れ、担任を変われた要求します。
教育委員会に訴えるので、生徒指導何もできません。こんなのが学校教育なのか?だから若い教員は生徒指導を全くしません。生徒のやりたいようにやらせて、人気者になり、授業評価を高くしてます。部活はやりませんと宣言する若い教員も増えてます。今の制度だと誰かが部活動の顧問につき、怪我をした場合、責任を取らされます。若い教員でも昔からの仕事のやり方をやろうとしてくれる人もいますが、心が持たない人も多いです。保護者は自分の立場だけでなく、学校全体の安心安全を守るためにどうしようとしてるかを理解しなければいけません。
2、中学校教員です。現場では圧倒的に教員不足だと感じています。学年団の構成もクラス数+学年主任1名+学年担任1名若しくは場合によって2名です。出張もあります。3年生になると進路関係で毎日誰かしら出張に出ることが多くなります。常にギリギリの人数です。休もうにも休めない。頼ろうにもお互い一杯いっぱい。自分が頑張らなければいけない、我慢しなければ、という気持ちになっていっています。 もう少し現場の教員を増やしてくれれば、授業や生徒との関わりも少しのゆとりを持っていけるでしょう。
クラス担任も1名よりも2名で組むなどもできるでしょう。人員さえいれば、現場はもう少しゆとりができるはず。 高校授業料無償化よりも先に、静かに壊れていっている義務教育現場に予算かけてほしいです。道徳教科化、小学校英語教科化、ICT導入など目を奪われる改革の度に更に業務が増えていますが、そのための人的補助はありません。
3、教員です。児童にも、保護者にも「お互いさま」の意識が薄れ、自分も何かしらしているのに、されたことが強調される。育ちも、結果、仕上がりばかりが早急に求められ、「待つとこ」「見守ること」ができなくなってきている。結果を求められる教員は、長いスパンでの育ちより、場当たり的な対応に注力しなければならなくなる。望ましいことではないとわかりながら。経験値が浅い先生方にとっては、疲弊が積み上がりますよね。
4、小学校の場合、中高の教科担任制と違い、担任教師が全ての教科と責任を負う構造的なシステムが大きな精神的負担となるのでしょう。特に若手の時は、仕事のやり方もよく分からない中で、ベテラン教師と同じ学級経営が求められますし、学級の仕事を全て一人でやる負担と責任が大きいです。
ただ、それこそが小学校教員のやりがいでもあり、習字や絵もかけば、歌やダンスもする、ミシンも水泳も全てに対応できるマルチ教師が小学校の先生です。と、まぁそうやって自己肯定感を高めなければやってられません。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/ea44002c8abb144595e1b17bfe8414dec7223606,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]