詩歩子さんは宮崎県で母親と暮らす2Eギフテッドの女性で、高い言語能力を持ち短歌や小説で評価を得てきた。一方で幼少期から感覚過敏や対人面の困難を抱え、小学校時代には仲間外れや「叩く・蹴る」などのいじめを経験。4年生で山村留学後、発達障害と高IQが判明したが、周囲の誤解から「人を殺す」などの偏見を向けられ、複雑性PTSDや自傷、自殺願望に苦しんだ。23歳まで入退院を繰り返した後、就労支援や創作活動を通じて回復。現在はB型事業所で働きながら文学活動を続けている。2Eギフテッドへの支援不足や社会的理解の遅れが課題となっている。

才能を持つ人が、その才能ゆえに孤立し、さらに特性への無理解で傷つけられる社会は大きな問題だ。この記事が示しているのは「能力が高いから支援は不要」という根深い誤解である。高IQや突出した才能だけを見て、本人が抱える感覚過敏、対人困難、不安や苦痛を見落とせば、可能性を伸ばすどころか人生そのものを追い詰めてしまう。
特に過去には発達障害への偏見や誤った情報が広まり、本人や家族を深く傷つけた責任も問われるべきだ。
必要なのは、第一に学校現場で2Eギフテッドへの理解を広げる専門研修を義務化すること。第二に、診断後すぐに本人と家族が相談できる継続的な心理・福祉支援を整えること。第三に、18歳以降も就労や生活を支える長期的な制度を作ることだ。
人の価値は「普通に適応できるか」や「社会の型にはまるか」で決まるものではない。違いを排除する社会は、未来の才能まで失っている。必要なのは特別扱いではなく、一人ひとりの特性を正しく理解し、力を発揮できる環境を用意することである。偏見で人を閉じ込める社会より、違いを活かせる社会の方が、はるかに成熟している。
ネットからのコメント
1、「ギフテッド」という言葉は前向きに聞こえますが、現実はそんなに単純ではないと思います。「発達障害の人には特別な才能がある」「何か一つ飛び抜けた能力がある」というイメージだけが広まると、それに当てはまらない当事者は余計につらくなります。逆に、優れた能力があっても日常生活や人間関係で大きな困難を抱える人も少なくありません。
だから「才能があるから大丈夫」という話ではないのです。最近は「ギフテッド」という言葉が、発達障害など何らかの困難や生きづらさをやわらかく表現する言葉として使われているように感じる場面もあります。しかし、本当に必要なのは呼び方を変えることではなく、一人ひとりの得意なことも苦手なことも含めて理解し、その人に合った支援につなげることではないでしょうか。言葉だけが一人歩きしないことを願います。
2、記事は取材を受けた方の発言がそのまま掲載されている部分が多く、要点を整理した内容とは言い難いため、私の読み落としもあるのかもしれません。ただ、ギフテッドの根拠として読み取れたのは、「作品が年間3位になったことがある」「小学校時代は成績がトップクラスだった」「相当な高IQのお子さん」といった記述くらいでした。IQの具体的な数値も示されておらず、記事の内容だけでは「特異な才能」がどのようなものなのかまでは伝わってきませんでした。一般的にギフテッドは際立った才能を持つ人という印象があるだけに、この記事だけを読む限りでは、ギフテッドと呼ぶ根拠としてはやや物足りなく感じました。
3、よくある「発達障害の人には一点突破型の才能がある」的なステレオタイプもまた、多くの当事者を悪気なく精神的に追い込んでいる側面があります。現実には(一般的に役立つ種類のスキルや能力において)健常人を凌駕するほど一芸に秀でるタイプの発達障害はラッキーなレアケースで、そうした人なら特定の得意な業務を任せる等の対応が可能でしょうが、例えば、各10点×6つのパラメータで合計60点満点の能力値があるとして、健常人の平均が各5〜6点の場合、度合いの強めな当事者では平均が各1〜3点で内1つだけ良くて4点みたいな感じがザラなので、仕事上では「何も任せられない」という事態が頻発します。
4、「ギフテッド」という言葉を勘違いしてるもいると思います。集団生活の中で輪を乱しているにも関わらず「ウチの子、ギフテッドだから〜最近は落ち着いてきたって先生にも言われる。教室から出ていかなくなったんだよ」と話してるのが聞こえたことがあります…障がい児と言われるよりは天才と言われる方がいいのかもしれませんが、必要としている支援は同じだと思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/de248b952e28e1ddc3d96b6987f4fc892ecf3203,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]