7月7日、広島県の横田美香知事は定例記者会見で、8月6日の「原爆の日」に広島市を訪れる予定の高市早苗首相に対し、原爆資料館の視察を要望した。知事は、被爆の実相を感じ安全保障政策に生かしてほしいと発言。昨年は石破茂前首相が式典後に資料館を訪問した。核兵器を巡る議論や非核三原則見直しへの懸念も示した。

被爆国の首相が核兵器の現実を直視することは当然であり、それすら強く要望しなければならない状況は、日本の平和政策が揺らいでいる証でもある。安全保障を語る上で、数字や戦略だけを追い、実際に失われた命や被害の重さを忘れるなら、それは国民を守る議論とは言えない。問題の本質は、核抑止を巡る議論が進む一方で、被爆の歴史を政策判断の中心に置く仕組みが十分でないことにある。政府は第一に、首相や閣僚が定期的に被爆地を訪れる制度を整えるべきだ。
第二に、核兵器の影響を学ぶ教育や外交発信を強化すべきだ。第三に、非核三原則を含む安全保障政策の議論を国民に開かれた形で行うべきである。強さとは核を持つことではなく、過去の悲劇を二度と繰り返さない決意を貫くことだ。歴史の痛みを軽視する安全保障は、守るための力ではなく、危うさを増やすだけである。
ネットからのコメント
1、広島知事が首相に原爆資料館の視察を求めたというニュースを見て、核の悲惨さを伝えることの重要性は改めて感じる。核兵器は本来、世界から無くすべきものであり、使われてはならないという思いは当然だと思う。ただ、私の意見としては、理想だけでは国を守れない現実もある。中国・ロシア・北朝鮮という核保有国が日本の周囲にあり、軍事的圧力や威嚇が続く中で、日本だけが非核を掲げ続けることが本当に安全につながるのか疑問だ。決して戦争をするためではなく、戦争をさせないための抑止力として、日本も核を持つべきではないかという考え方は、現実の脅威を見れば無視できない。核の悲惨さを知ることと、使わせないための安全保障をどう構築するかは、同時に議論すべきだと思う。
2、祖父母4人がみんな被爆者の孫ですが、核の抑止力は核を持つ事でしか抑止力にならないと、平和学習を通じて学び、中学生の頃から思い続けて共産党の言う事は一切信じないようになりました。非核三原則は、核を持っていない相手にしか使えない言葉遊びになりつつある。81年も戦争から遠ざかった日本が本当に凄いんだと心から思うが、もうそろそろ限界は近い。
3、知事がいうように核兵器は使われてはいけないとは多くの人が思ってるし私もそう思う悲惨なんて言葉じゃ片付かない地獄ですよ…一方で当時、日本が核兵器を持っていたら広島には核兵器は落ちてなかったとも思う核である必要があるかは議論が必要として、現実的に戦争の抑止力になる戦力を持たなければならないと思うな。
4、原爆資料館を首相が視察すること自体はよいことだと思う。核兵器が使われた時に人間に何が起きるのか、被爆の実相を知ることは、安全保障を考える政治家にとっても必要なことだ。ただ、その悲惨さを見たうえで、だから核に関する現実的な議論そのものをしてはいけない、となるのは違うと思う。
今の世界には核兵器を持つ国があり、日本の周辺にも核を背景にした脅威がある。過去を忘れないことと、過去だけに縛られず現在の国益や安全保障を考えることは両立するはずだ。核兵器を二度と使わせないために、現実の抑止をどう考えるかも避けて通れない話だと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6f826a405a8e046d4e486d8b93878a7c170a0849,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]