2021年2月、大分市大在の一般道で法定速度60キロを大幅に超える時速194キロで運転していた19歳の男性が、右折してきた車両に激突し、会社員の小柳憲さん(当時50歳)が亡くなる事故が発生した。一審では危険運転致死罪による懲役8年が言い渡されたが、二審では過失運転致死罪に変更され懲役4年6月に減刑。遺族は司法判断への失望から署名活動を行い、約7万人の支持を受け最高裁への上告に成功。政府は速度に基づく自動車運転処罰法の改正を進める方針を表明したが、遺族は現行法での厳罰化を求める活動を続けている。

この事件に対するコメント:
今回の事故は、恐ろしいまでに悪質な運転がいかに一瞬で取り返しのつかない悲劇を招くかを物語っています。時速194キロという数字は、通常の道路環境を著しく逸脱した危険行為であるにもかかわらず、控訴審では危険運転の認定が覆されました。
この結果は、被害者遺族にさらなる苦痛を与えるだけでなく、公共の安全確保への疑念を招いています。
問題の根本には、法律が運転者の危険な行為を明確に罰するだけの基準を持ち合わせていない点、さらには司法が危険運転認定について慎重すぎる姿勢があるでしょう。このような状況が続くとすれば、法そのものが人々の命を守る役割を果たしていないと言われても仕方ありません。
まず、現行法で既存の危険運転罪を適用し、裁判所や検察が一貫した厳罰化の姿勢を示すべきです。また、速度違反や重大な危険行為について具体的な数値基準を盛り込んだ法律改正を早急に進める必要があります。さらに、司法や捜査機関が被害者遺族の訴えに真摯に向き合うための制度改革も検討すべきです。
命を奪う運転が軽視される状況は、社会全体の倫理観を損ないます。「車は単なる便利な道具ではなく、凶器にもなる」こと。この認識を持ち、司法が厳密に命を守るために機能することが、真に安心できる社会を築く唯一の道です。
ネットからのコメント
1、本当にこの判決については、残念としか言いようがない。
これが危険運転でなくて一体何が危険運転なのかと思う。最近の司法の判断には疑問を抱かざるを得ないことが多々ある。相当一般常識的に疑問を抱かざるを得ない。これではなくなった方も浮かばれないし、ご遺族の心痛を考えると言葉もない。最高裁が妥当な判断をしてくれることを心より望みます。
2、弁護側も良く控訴なんてしたなと思います。事故を起こした本人もこれが危険運転ではないと思って控訴したのか、少しでも罪を軽くしてもらおうとしか考えて無かったのか、いずれにしても、弁護士と加害者双方の常識を疑います。被害者家族がこの道さえと悔やむのも、どう考えても理屈に合いません。ここまで被害者を悲しませるような判決をどうか最高裁で覆して頂きご遺族の無念を少しでもはらして欲しいです。
3、車は大きく3つの挙動がある。走る・曲がる・止まるだ。194キロでまっすぐ走ることはできたのかもしれない。だがこれだけで危険運転が適用されないと判断するのはあまりにも軽挙。194キロから的確に減速して曲がれたのか、障害物を発見した時に危険なく安全に止まれたのか、それを速度や道路の条件に合わせ、科学的に検証しなければ、危険運転にあたらないなどというべきではない。
4、最高裁には、どうか感情ではなく理性に基づいた、まともな判断を示してほしいと思います。制限速度60kmの道路を194kmで走行するという行為は、もはや「不注意」や「過失」という言葉では収まりません。偶然が重なって起きた事故ではなく、危険が必然的に現実化した結果だと見るのが自然でしょう。しかも運転していたのは19歳。免許を取得してから、まだ2年にも満たない年齢です。技量、判断力、経験、そのいずれを取っても、すべての条件下で安全が担保されていたとは考えにくい。若さや未熟さを酌量することと、行為の危険性を直視することは別です。その線引きを誤らない判決こそが、社会に対する最低限の責任だと思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/9c90a0ce9d249c1cf9038a3f8e852ae57234022b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]