裁判員裁判における「刺激証拠」の排除を巡る問題が深刻化している。大阪地裁では、ゴルフクラブで女性を殴り殺害した男を殺害罪ではなく傷害致死罪で有罪とした。その際、遺体写真が刺激的とされて証拠採用されず、イラストが用いられた結果、被告の殺意が認定されなかった。他の事例でも、暴行音声データや性的暴行の映像、交通事故映像などが刺激証拠として排除されるケースがある。一方で、こうした運用は裁判員の精神的負担を軽減する目的から始まったものの、真相解明を妨げ、司法の信頼性を損なう危険性が指摘されている。被害者遺族や専門家からは、必要な証拠を排除するべきではないという声も広がっている。

今回問題となった司法制度の運用は、遺族の無念を深め、また裁判の判断を歪めかねないものです。裁判員制度は市民が刑事事件の判断に参加し、司法の透明性を高める目的で導入されました。
しかし、現状の刺激証拠の取り扱いはその理念を忘却し、裁判員に対する過剰な配慮によって真実の追及を阻害する事態を招いています。遺体写真や暴行音声などの直接証拠は、殺意の有無や犯行態様を立証する重要な鍵となり得ます。それを排除すれば、被告が真実に反した供述を行いかねず、また誤った司法判断を伴う危険性も高まります。裁判所の最高の目標は、真実を明らかにし、公正な裁きを実現することです。改善策として、第一に、過剰な心的負担を感じる裁判員には、公判途中でも辞退の選択肢を設けるべきです。第二に、裁判員の教育や訓練を強化し、事実に基づいた冷静な判断ができる環境を提供する必要があります。第三に、刺激証拠を扱う場面では専門家による適切な心理的支援を手配し、不安を緩和する取り組みが求められます。この制度は市民の主体的関与が前提であり、裁判員への信頼を失えば存続そのものが危ぶまれます。司法がその本懐に立ち返り、制度の運用を抜本的に見直すべき時期です。
ネットからのコメント
1、見る見ないは裁判員の判断に任せるべきです。
情報伝達の正確性を求めるのなら、現場の状態そのままを見て貰う他ありません。音声と文字、写真とイラストでは情報の伝わり方が違い過ぎます。音声で伝わる怒気や危機感、写真で伝わる凄惨さや異常性は、犯人の罪の重さを知るために必要な判断材料です。配慮をするにしても、希望者向けに局所をモザイク処理した写真を用意するのが妥当だと思います。
2、裁判員への配慮で証拠が選別されるのは本末転倒な話ではないか。裁判員制度は一般人の感覚を裁判に取り入れるためというふれ込みだったが、早くも形骸化しつつある。証拠も見せられないくらいなら制度自体やめてしまった方がよい。これは全くの推測になるが、裁判員が判例と懸隔した量刑にすると困るから、裁判官の「予定」通りの量刑になるように誘導しているのではないか。それでは制度の意味もない。
3、裁判官の選民意識が強過ぎると思います。裁判官が耐えられる写真その他の資料を耐えられない裁判員の割合をどのくらいだと考えているのでしょうか?また、耐えられないと考える裁判員のみに簡易イラストなどを提供する選択を認める手段もあるはずです。
裁判員の中には、医療経験者他、「刺激証拠」と呼ばれるものに、寧ろ通常の裁判官と同等以上の耐性を有する人もいると思います。
4、悲惨な現場や実態を見せると生々しすぎて裁判員が被害者やその遺族に感情移入し過ぎてしまう、という事なんでしょうけど、本来裁判員は一般の市民感情を法廷に反映するのが趣旨のはずですからね……。感情移入してしまって加害者を許せないと思ったにしても、それはそれで自然な事だと思います。冷静にフラットに証拠や判例も見て判断して、というなら最初から裁判員は不要ですよね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/e8336fe0547406c35364f533a4d3aaa1abd70275,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]