1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行きの日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。機体の修理ミスが原因で、520人が命を落とし、4人が重傷を負いました。事故から12日後、遺族である美谷島邦子さんは、9歳の息子健さんを亡くし、公共交通機関の安全性向上と被害者支援活動を続けてきました。美谷島さんはJALで講演を行い、社員に「安全を一緒に作っていこう」と呼びかけました。
40年を経た今も、彼女は事故を忘れず、命の尊さと安全の重要性を伝える活動を続けています。
美谷島さんの活動は、事故後の遺族同士の交流を生み、事故の教訓を活かした公共交通機関の安全文化の向上に貢献しました。
ネットからのコメント
1、自分が中学生の時に事故が起きた当時は運が悪くて可哀想だな しか感情が無かったが55才になり子供を育てた今の自分では泣いてしまった小さな大冒険かと見送った自分の息子が事故で亡くなるなんて親子さんは苦しかったと想像できます本当にご冥福を願います
2、20代です。機長さんは当時、日本でもかなり優秀なパイロットやったみたいですね色んな意見ありますが、あの機長や操縦士らが4人を助けたのは本当に凄いと思う。ダッチロールで制御不能の飛行機をずっと操縦したのは凄いと思う、亡くなった方にはご冥福をお祈りします
3、ボーイングの修理ミスで、物理的に検証は不可だったのに、いい訳せずにボーイングの修理ミス事故を風化させないよう、40年を経ても慰霊行事やこのような遺族の生の声による社員教育を継続する。このような企業の姿勢は大切ですね。
4、当時、自分は小学校4年生でした。この事故はあまりにも衝撃的でした。インターネットが普及してからは、記事や動画で事件の詳細を定期的に調べてきました。私個人の中では、この事故は絶対に風化しないんだと思っています。ですが、40代後半より若い世代にとって、リアルタイムで報道を目にしていないわけであって、風化してしまうのは致し方ないとも思います。でも、絶対に風化させてほしくないと願うのは、私も同じです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/447a65d13a425319d594616ab3fc6f5e805d0c5a,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]