海老名香葉子さんの訃報に関するニュースによると、彼女は2023年12月24日、クリスマスイヴの晩に92歳で穏やかに亡くなりました。東京都出身の彼女は、落語界を支えた初代林家三平さんの妻であり、一門の存続に尽力しました。三平さんの死後、個人経営の「ねぎし事務所」の代表取締役を務め、1995年には「ねぎし三平堂」を開設。一門の「おかみさん」として多大なる影響を与えました。
彼女の葬儀は遺言により12月29日に家族葬で行われ、2024年1月9日に「お別れの式」が予定されています。喪主である長男の正蔵は彼女の生涯について、「終戦からの激動の時を強く生き、江戸っ子らしい情に厚い性格だった」とコメントを残しました。

香葉子さんの死は、多くの人々にとっての喪失感を誘います。彼女の生涯は、まさに強さと知恵の象徴でした。落語界の背後で支え続けたその姿勢に、多くの人が感動したことでしょう。彼女の存在は、子供たちにも影響を与え、彼らが自身の道を歩む姿に現れています。また、終戦後の不安定な時代を乗り越えた彼女の話は、私たちにも勇気を与えてくれます。思い出を胸に刻むことで、私たちも彼女のように情け深く生きていけるでしょう。彼女が残してくれた愛と知恵を忘れずに、毎日を大切に過ごすことが、最も良い彼女への感謝の表し方なのではないでしょうか。
ネットからのコメント
1、香葉子さんお疲れ様でした。小学生の頃(うしろの正面だぁれ)というアニメで香葉子さんのことを知ってその後当時の林家こぶ平さん(現在の正蔵師匠)のお母さんだと知りました。段々戦争体験を語れるお方が減りつつある中で著名人で数少ない平和を語れる方の1人でしたね…ちなみに知らない方にあえて言いますと香葉子さんは戦争末期の空襲で三番目のお兄さん以外の全ての家族を亡くした過去があります。
2、香代子さんのうしろの正面だぁれや半分のさつまいも買いました。当時小学生だったので何度も読んで泣きました。香代ちゃんが海老名さんだと知ったのは大人になってからでしたが。私が小学生の頃は夏休みには、はだしのゲンやうしろの正面だぁれや火垂るの墓がテレビで流れてましたが最近は見ないですね。悲しい出来事、風化しないで欲しいと思います。
3、戦争の生き字引がまた一人亡くなった語り継ぐ人がいるのだろうか?平和を貫くには語り継がなければいけない。叔父の母は東京大空襲で町内で7人生き残った、周りの町内は全滅。戦争で旦那を亡くしたうえに、空襲で家まで焼かれたそうだ。
となりの町内は全滅。焼け出されて、防空壕で暮らした戦後の食糧難もひどく、大学教授が足袋をうって何とか生き延びる時代。工場で焼け残った残った苛性ソーダで石鹸作って闇で売って戦後生き残った。聞くだけでつらい話がたくさん残ってる。パラレルワールドのような話で実感がないだろうな。ご冥福をお祈りします
4、「うしろの正面だあれ」は名作です。地上波では著作権の問題か?放送しないけど、今の若い世代にも観てもらいたいです。東京大空襲で亡くなったご家族の分まで強く生きて来られたのだと思います。ご冥福をお祈りいたします。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/8f8f5c7505cccc0fdf0b30a0d2b827247537c607,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]