事件概要:2025年に公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』で、猗窩座の過去が明かされ、ファンの評価に大きな変化が生じました。猗窩座の人間時代「狛治」の悲しい物語を知った多くのファンはその心情に共感し、猗窩座を許し、愛情を深めたと述べています。しかし、煉獄杏寿郎を愛する一部のファンは、猗窩座が煉獄を殺した事実を受け入れられず、強く拒絶しています。
これにより、ファンの間で猗窩座をどう受け入れるか、感情的に揺れ動く複雑な心境が広がっています。
コメント:猗窩座の過去が描かれることで、彼の行動に感情移入したファンが増えた一方、煉獄杏寿郎の死を許せないという感情も根強く残っています。このような心情の揺れは、ファンがただ単にキャラクターを好き嫌いで判断するのではなく、物語の深さとキャラクターの背景に対しても真摯に向き合っていることを示しています。猗窩座の悲しい過去に共感し、その痛みを理解しながらも、煉獄を愛する気持ちが変わらないことはファンにとって大きな葛藤を生み出しています。これは、物語が人々に与える感情的な影響の深さを物語っています。
ネットからのコメント
1、こうやって背景を知って情がうつるような鬼もいれば、背景を知って余計に腹が立つ鬼もいる。
そこが吾峠呼世晴さんのスゴイところ。自分がムカつく相手もひょっとしたら何かしらそうなってしまった背景があるかもしれないし、ないかもしれない。冷静に客観的に分析して許せるか許せぬかを考えさせる。そして価値観を押し付けない。実に見事。
2、結局のところ、その鬼に「大切な誰かがいた」かどうかで、こちらの心情が変わるのも当然かと思う。妓夫太郎には梅という大切な妹、狛治には父も師匠も恋雪もいた。そこに対して「可哀想に」という感情が生まれてしまうのだと思う。私は義勇推しだけど、もし義勇が猗窩座にやられていたとしたら、「今私は猛烈に腹が立っている」と義勇の台詞を借りることになる。やはり「許せん」と思ってしまうだろう。煉獄推しの方々の、猗窩座に対する本音を聞いてみたいです。
3、猗窩座は女子供は喰わなかったらしいが、男は喰った。それは、誰かの父であり夫であり息子であったろう。それも百や千では足りぬだろう。「鬼滅の刃」が人間側、それも鬼殺隊中心の物語だから鬼=悪となり、滅するまで終わらない。始まりと結果が勧善懲悪でも、いずれの側にも感情移入出来る話だから、日本人の心に刺さったのだと思います。
4、自分は猗窩座を好きにはならんのよなあ。確かに人だった時に悲しいことがあったのはそうだろうけど、鬼になった時点で記憶無いなってる訳だし。猗窩座として大量の人を殺めてるわけだからね。記憶残ってたなら少しは同情するけど。こういうところの塩梅が上手い作品だと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/bb3d56e4cb8fdcd4f356aaef0cb52802c9523d4d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]