事件概要:2025年8月8日、日本保守党代表で参院議員の百田尚樹氏が自身のX(旧ツイッター)で、広島市の原爆慰霊碑「過ちは繰り返しませぬから」の碑文について自身の見解を示した。百田氏は、この碑文の主語「人類」に異議を唱え、もしアウシュビッツや9.11の遺跡に同様の表現があったならば、被害者が怒るのではないかと問題提起。
彼は「原爆を投下したのはアメリカであり、被害者である日本がその責任を負う必要はない」と述べ、この表現が自虐史観に基づくものだと指摘した。この投稿には賛同の声と反対意見が寄せられた。広島市はこの碑文を「全人類が戦争の過ちを繰り返さないことを誓う言葉」と解釈している。
コメント:百田氏が指摘する「過ちは人類が背負うべきでない」という主張は、戦争における責任の所在を明確にすることを促すものです。しかし、同時に私たちは過去の悲劇を繰り返さないことへの誓いが、国家の枠を超えて共有されるべきだということも認識しなければなりません。広島の碑文は、原爆という人類全体の問題として戦争の愚かさを伝えるために設置されたものであり、被害者がその悲しみを乗り越え、未来への希望を掲げている点を理解することが大切です。
確かに、原爆投下に対するアメリカ側の明確な謝罪があれば、被害者の霊が少しでも慰められる可能性があるでしょう。しかし、私たち自身が他者の痛みを理解し、共有することで真の平和に近づくことができるのではないでしょうか。
ネットからのコメント
1、そのとおりだと思います。原爆だけではないです。一般国民への大規模無差別爆撃は、アウシュビッツと同じく戦争犯罪として非難されるべきことだと思っています。先の大戦、即ち大東亜戦争は、日本が欧米によるアジア植民地化廃止や人種差別撤廃を掲げたため、戦争に巻き込まれました。アジア諸国が独立できたのは命懸けで戦った日本の成果です。これを誇りに持つべきです。
2、記念碑をつくった作者が「人類」としている以上、そうなのだろうと思う。しかし、造られた1952年から実に半世紀近く「自虐史観」に囚われていた日本人にはこの「過ちは繰り返しませんから」は主語は「日本人」に勝手に変換してしまう。それをずっと放置し続けていた背景がある。この背景を無視してはならないと思う。
3、百田さんは以前から自虐史観に疑問を問いかけてきた。
やはり国会議員になると発言が話題として大きく取り上げられるね。こういう発言を公然とできる国会議員が出てきて嬉しく思う。
4、「この碑文を見て違和感を覚えるか否かは、自虐史観に染まっているかのリトマス試験紙となる。」と指摘した。全くその通りでしょうね。自分の墓石に同じ様な文面を刻む人が居るのだろうか…原爆慰霊碑には、慰めと鎮魂の祈りを記する事が、全く非のない国民への最たる心遣いになりますよね。この文面を慰霊碑に遺す事では無く、核廃絶運動する組織が使用すべき事では?核や原爆を持たない日本がこの「過ち」を使用する事が全く理解出来ない。日本が起こした戦争と言われるが、挑発して来た側に非がない訳でもない。世界を背負って立つ自覚ある国家なら、米国の傘下にはならないですよ。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/612b0b7897c452bbfcbd62cf8e60b3845211ce5d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]