事件概要:青木勇さん(96)は、横浜市で生まれ育ち、戦争時に陸軍少年飛行兵として特攻に志願した。昭和4年3月生まれの青木さんは、1945年、特攻訓練中に米軍のB29爆撃機による富山大空襲を目の当たりにし、戦争の悲惨さを実感。戦後は、家族の消息が不明だったが、後に兄たちの戦死を知る。特攻隊の先輩たちとの別れ、そして戦争の経験が今も青木さんの心に深く刻まれており、「二度と戦争をしてはいけない」という強い思いを持ち続けている。
コメント:青木さんの体験は、戦争がいかに多くの命を奪い、人々の心に深い傷を残すかを示しています。戦争という非人道的な行為が、無垢な若者を次々と犠牲にし、家族や故郷を失わせる現実を目の当たりにしました。特攻隊という名の「志願制」によって、若者たちは死を強制され、家族との別れや悲しみを乗り越えて生きるしかなかったのです。現代に生きる私たちは、このような過去を忘れることなく、戦争の恐ろしさを学び、平和の重要性を再認識しなければなりません。
戦争の惨状を直視し、二度と同じ過ちを繰り返さないようにするためには、まず戦争の影響を知り、教育を通じて次世代に伝えることが重要です。
戦争を起こさないために、国際的な協力を強化し、対話の重要性を理解することが求められます。私たちができることは、個人としても、平和を守るために積極的に行動し、他者と協力し合うことです。青木さんの経験を忘れず、心に刻んで未来へと生かしていきましょう。
ネットからのコメント
1、この話は当時の雰囲気がわかりやすいですね。知ってる方でシベリア抑留から戻られた方がいて、少年志願兵として大陸に渡ったと話されていましたが、ではなぜ軍隊に?特にやることがなかったから少年志願兵に応募したと言ってました。兵隊になることも普通のこと。この記事にもある学校にある日出征する兵隊さんの軍服正装姿がかっこよかったからなりたいと思った、ってはなしはよく聞きます。逆に学徒動員のように知恵がついた年ごろで徴兵された人たちはまた別の思い、世の中に飲み込まれて葛藤がつよかったことでしょう。
戦争はしてはいけない、と同時に国を守らなければならないという二重の思い。これが解消されることはないと思います。どちらか一方だけに固執して譲らない人たちが増えてますがそれは頭の中だけだからなのでしょうね。戦争を戦った人に戦後生まれが何を言えましょう。
2、今は亡くなった私の祖父も、戦争を体験していて夏休みの宿題で戦争の話を聞きました。祖父の上官が知り合いだったから、特攻せずに済んだ。そのおかげで、孫の私がいると言う話は二十年近く経った今でも忘れません。今は自分が子育てしている立場ですが、平和な世界であることを願います。
3、軍服に憧れて、というくだりがあるが、ナチスドイツもオシャレな軍服に気を使い、少年達のナチス入りの動機の一つとなった。ほとんどの特攻隊員は自己犠牲の精神で旅立っていったが、覚醒剤や覚醒剤チョコなどで恐怖を紛らわし、本意ではなく旅立った隊員もいると聞く。その記録も見てみたい。
4、鹿児島の知覧や万世にある特攻資料館へ行けば、特攻で散った隊員たちの、国や家族へ寄せる強い思いが分かります。知覧も万世も、特攻基地があった場所です。
知覧が米軍に知れるところとなり、万世を造りました。有名な「子犬を抱く特攻隊員の写真」は万世基地の隊員です。薩摩半島までは遠いですが、是非一度、足を運ばれることをお勧めします。議論はそれからです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/c1cf8fb353279f51f65e6469ec39360d9434d3a1,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]