篠原湊翔さんは、島根県出雲市在住の17歳の映像クリエイターです。彼は小学3年生から学校への不適応を感じ、不登校を選択し、好きな写真や映像の制作に情熱を注いできました。14歳で初個展を開催し、不登校をテーマにした作品を発表、3日間で200人が来場しました。そして2025年12月、自身2度目の個展「MINATO展 Vol.2」を開催し、写真や映像作品と共に、不登校時代の心情を綴った言葉を展示しました。この個展では、不登校経験者やその家族を含む150人が来場し、大きな反響を呼び、不登校という選択肢とその意義について考える機会を提供しました。

篠原さんの活動は、学びの多様性の重要性を深く考えさせるとともに、困難に直面した人々に希望と勇気を与えるものとして、新たな生き方の可能性を示しています。
篠原湊翔さんの物語は、不登校が必ずしも失敗や後退ではなく、新たな道を切り拓く選択肢であることを証明しています。
社会が子どもたち一人ひとりの生き方を受け入れる柔軟性を持つならば、湊翔さんのような才能は埋もれることなく輝きを放つことでしょう。学校という枠組みを超えた学びの形が、子どもたちの成長だけでなく社会全体の多様性を育むことにもつながります。それにより「普通」「当たり前」という硬直した価値観に挑戦し、公平な社会を実現する一歩となるのではないでしょうか。
成長の鍵は自由と選択。湊翔さんのような若者が希望を訴え続ける物語から、多くの気づきを得ることができるはずです。
ネットからのコメント
1、不登校になりながらもそこから自分の生きる道を見つけ歩んでいるのは確かに立派なことであるとは思う。 しかしその一方で、学校が全てではないにしても大衆がある種無難な人生を歩めるための方法ではあること、確かに学校に行けない気持ちは行ける人にはわからないにしても、全ての人がこの方みたいに上手くいく訳ではなく、本人や周りの努力もありながらもたまたま恵まれていたからということは忘れて欲しくないとも思う。だからこそ不登校児やその親の多くが、生きる道を探すために不登校をどうにかしたくて悩んでいるのだから。
2、彼にとっては「普通に学校へ行っている」と感じる子たちは、実は頑張って我慢して行っていると思う。普通に行ける人はいいよね、みたいなスタンスでものを考えるのは、頑張っている人に失礼では?毎日学校に通っている子たちは「普通」ではなく、頑張っている子たち。その上で、行けなかった自分の道を、自分で切り拓いたことは彼は彼なりに相当苦しんだ結果だろうから、素晴らしいと思います。
3、「普通に学校に行けてる」というように見せるために、大多数の人たちがどんな苦労をしているか、せめて、その大多数の人たちの視点になってみる。想像してみるというところから始めてほしいと思います。みんな、自分以外の人たちの気持ちなんてわかりません。でも、普通と言われる頑張っている人を下げて、自分を保つということされたら、誰でも良い気持ちにはならないとわかってほしいと思います。
4、この記事に登場する17歳の映像クリエイターのように、 不登校をきっかけに自分の生き方を見つけ、 社会とつながる道を切り開く若者もいる。不登校そのものが問題なのではなく、 本人が社会とどうつながり、 どのように成長していくかが重要だと感じる。
一方で、病理的な不登校や引きこもりは、 放置すると家庭内で主従が逆転し、 親が隷属的になり、 本人は「自分は悪くない」と受診を拒む状態に陥りやすい。こうしたケースは早期に専門的支援につながらなければ、 家族だけでは対応が難しく、 8050問題へ発展する危険がある。不登校には自立型と病理型があり、 社会も学校も家族もその見極めを誤らないことが大切だ。特に病理型は「様子を見る」だけでは悪化するため、 早期に医療や支援につながる仕組みづくりが必要だと考える。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f38a9bc66b0e73af8d54085219aafa368044ba7d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]