第一段階:概要
1945年2月、硫黄島(東京都小笠原村)で行われた激戦で、戦死した佐々木巍さんが家族に送った手紙とはがきが、80年以上後に京都府宇治市の遺族に保管されていることが明らかになった。巍さんは1913年、東京生まれで、牧師を務めた後、再召集を受けて硫黄島へ送られた。家族に送った16通のはがきと1通の封書には、娘への愛情や妻への感謝が綴られており、戦時中の生活や心情を伝えている。
これらの手紙は、検閲をかいくぐり、家族に少しでも大切な情報を届けようとする兵士の姿を伝えるもので、戦史研究者は一級史料としてその価値を認めている。巍さんは、激戦の中、最終的には戦死し、家族との再会を果たすことなく終わった。
第二段階:コメント
【安慰型】
このような戦争の悲劇がもたらす痛みと切なさに対して、心から共感します。長い間、巍さんが家族に送った手紙やはがきを読むことができなかった寛子さんの気持ちは、言葉では言い尽くせないほどの辛さがあったことでしょう。しかし、今、80年の時を経て、その貴重な手紙が平和の象徴として再び語り継がれることに、少しでも慰めがあることを願います。巍さんの家族への愛情や感謝の思いは、戦争の中でも変わらず深いもので、これらの手紙を通じて私たちもその愛を感じることができます。
今後も、そのような思いを大切に、二度と戦争を繰り返さないために力を尽くすことが、巍さんのような戦士たちへの最良の敬意だと思います。
ネットからのコメント
1、軍の上層部は勝てもしない戦争を強いて、こんなにも大切な家族と、子供成長を見守る幸せな時間を奪っていった。亡くなった一つ一つの命に、大切な人がいて、それは敵味方、戦場問わずです。どこかのえらい誰かの欲や、つまらないプライドから始まった戦争なんかのために命をかけなければならなかった犠牲者の皆様、ご冥福をお祈り申し上げます。
2、硫黄島で戦死された方(無論、硫黄島に限らずですが)生還された方一言で言い表してはいけないかもしれないけど、(祖国の為か、ご家族ためか)戦って下さりありがとうございます。日本人の心には残り続けてます感謝しかない
3、私の血の繋がらない祖父も硫黄島で亡くなりました。手紙の話は聞いた事がないので、多分届いてないと思います。書ける状況じゃなかったのか、書いたけど届かなかったのか分からないですけど、もしかしたら、地方の田舎で百姓をしていたので、字の読み書きがあまり出来なくて、書く事が出来なかったのかもしれないなとも思いました。
手紙を出せた人と出せなかった人との違いというか、そういうのも知りたいなと興味を持ちました。
4、当時の兵士達の手紙や遺書をまとめた、きけ、わだつみの声と言う本を読むと、本当に切なくなります。いかに多くの10代20代が戦地に投げ出され無駄に死んで行ったか。死んで行った学徒達がいかに優秀で勉学に対しての渇望を抱えて逝ったか。国や家族を守るために逝くと言う文面の裏に、死にたくないと言う意思がありありと見て取れます。今、軍事費費を上げて軍事力を高める事が我が国でも取り沙汰されていますが、願わくば、それが、決して起こしてはならぬ戦争に対しての抑止力としてのものである事を、ただただ願うばかりです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/1f2153f897853879e02d94f4a1a6a3584a431e70,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]