第一段階: 概要
1945年8月15日、日本は太平洋戦争の終結を迎え、翌17日には新内閣が発足。政府は戦後2日目に占領軍向けの慰安所設置を決定し、18日には通達を出して設置を推進。最初の慰安所「小町園」は8月28日に開業され、東京を中心に次々と慰安所が設立された。占領軍向けの性売買を進めた背景には、南京事件での性暴力や日本軍の過去の行為に対する懸念があった。
最初に集められたのは娼婦だったが、次第に戦争で困窮した一般女性も募集された。全国的に慰安所が広がり、全国で約4万5000人の女性が関与したとされる。1946年3月には性病の流行を受けて慰安所が閉鎖され、その後は「パンパン」と呼ばれる街娼が広がった。政府は1956年に売春防止法を制定したが、女性の支援体制は不十分で、性売買は依然として存在していた。
第二段階: 批判型コメント
この事実は、戦後の日本がどれほど深刻な道徳的、社会的問題を抱えていたかを浮き彫りにしている。政府が占領軍向けに慰安所を設置する決定を下したこと自体が異常であり、戦後の混乱に乗じて性売買を国家的に推進したことには強い批判が必要だ。国家が戦後の再建と復興を理由に、女性を物のように扱い、売春を国策として推し進めた事実は、今後の社会においても教訓とすべきである。
加えて、このような行為を行った背景には、戦時中の過去の虐待行為や性暴力の隠蔽、そして「男性神話」に基づく男性中心の価値観が根底にあったことを認識しなければならない。
解決策としては、まず、戦後の教育制度において性教育の強化を図り、女性の権利と人権の尊重を徹底すべきだ。次に、性暴力や性売買に対する厳罰化とともに、被害者への支援体制を強化することが重要である。また、国家としての責任を明確にし、過去の過ちを繰り返さないための真摯な反省と政策の実行が必要だ。
ネットからのコメント
1、敗戦直後の混乱の中、日本政府が占領軍向けに慰安所を設置した事実は、記事と違い広く知られています。これは、占領軍兵士による性犯罪の抑止と、日本女性を守るという名目のもと、戦後わずか2日後の閣議で決定され、10日余りで最初の慰安所が開設されました。この施策は道徳的な是非を超えた「現実的対応」として、全国に広がることとなります。慰安所は、いわば“性の防波堤”としての役割を果たし、混乱期に女性や市民を守る一助となった側面があります。また、戦災で生活基盤を失った女性たちにとって、これは貴重な雇用の場ともなり、多くの家庭の生計を支えることになりました。当時の極限的状況において、国家主導で行われたこの対応には、単なる売春では括れない複雑な背景と意義があったのです。
2、南野陽子さん主演ドラマ「女たちの戦争」でも描かれいますが、連合軍が横浜に上陸した日、強姦事件が相次ぎ翌日には女性の自殺者が続出した。だが当時連合国軍によりプレスコード(報道規制)で一切報道されず。更に数日後には信じられないことに真昼にジープで乗り付けカービン銃で武装したアメリカ兵が日本の銀行強盗に入り逃げる有様、ほぼ進駐した各国の兵士達が狼藉を働き始める。
そんな状態だから米軍の将軍達も日本の自主的な慰安所の設置に喜んだとか私は多少でも女性達を守ったと思います。
3、半藤一利さんの著作では、この占領軍の慰安所の設置は、天皇の聖断=8/14夜よりも前だと推定される、と有った。この記事に有る様に8/16にはもう政府討議されると言う事は、それより前に官僚が叩き台を作る必要が有る。8/14までは(一部は8/15午後にも)特攻隊は飛んで行っていた。その陰で、もう既に慰安所の検討。誰がと言う訳ではないが、戦争とはなんと酷いもなのか、と思う。
4、欧州ではベルリン陥落後のソ連兵によるドイツ人女性への不法行為の数は日本の比では無かったようだね。敗戦国の慰安所の設置は是か非かって簡単には言えない事かもしれない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/8bfe0d9020b5f3470a0a5d3fc68e6e1d7d477cb2,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]