遊就館は東京都千代田区にある戦争博物館で、1882年に設立されました。日本の近代史に特化し、明治維新から大東亜戦争までを時系列で展示しています。辻田真佐憲氏は、この博物館が示す歴史観に懸念を表明しています。特に「満洲事変とその後」の解説で、日本側の積極的行動が曖昧になっている点を指摘しました。博物館は、日本が自国防衛のために消極的行動を取ってきた受け身史観を採用していますが、この解釈は戦後国際秩序での日本の責任を回避しています。
また、遊就館は2006年の批判を受けて内容を修正しましたが、展示は依然として加害者としての日本の責任を避ける傾向があるとのことです。
遊就館の展示は、日本の戦争における行動を美化するだけでなく、責任の所在を曖昧にしているという問題を抱えています。これは単に歴史の歪曲ではなく、社会全体の歴史認識に影響を与える深い問題です。まず、教育機関や公的な博物館が歴史の全体像を正確に示し、国民の歴史観形成に寄与する必要があります。次に、日本の行動についての詳細で多面的な議論を可能にする場の提供が求められます。最後に、展示の見直しや監査を定期的に行い、外部の専門家を招いて意見を取り入れるべきです。これらの対策を通じて、日本の歴史認識はより公正で透明なものになるでしょう。社会として、歴史の責任を直視し、それに基づいた正しい未来志向の選択をしていくことが求められています。
ネットからのコメント
1、陸軍も海軍も政治家を武力で脅して自分たちの組織の肥大化に邁進し、本来庇護すべき国民を後回しにして利権確保に動いた。その結果、虎の尾であるアメリカの尻尾を容易に踏み抜くし、踏み抜いても自分らは悪くないと責任転嫁に動く。戦前の日本軍の動きは国民保護、国家の繁栄よりも、自分たちの組織のためという側面が大きい。
2、私たちは歴史を結果から逆算して見ているのでそういう見え方になるのだと思います。当時生きていた人、特に軍部中心の政治体制では「これだけ侮辱されたら開戦もやむなし」と言うのも異常とは言えない判断であったかと思います(正しいかどうかは別です)。ただここに書かれていることをもっと論じられるよう多くの国民に知らしめることが必要です。日本の歴史教育で未だに秘匿されている部分です。奈良・平安時代に時間をかけるよりもよほど役に立つ教育になると思います。
3、戦争に至ったのも戦前からの一つ一つの出来事の積み重ねとその時の状況判断や選択の結果によるものが大きいのだろう。それを他責的または自責的に論評するよりも、当時の人間が何故その判断や選択に至ったのか、そして今の価値観に照らし合わせた時にどうするのか良いかを考える方が大事だと思う。
4、加害者か被害者かという視点でばかり歴史を振り返るのがよいのだろうか。仮に、アメリカが自国の国益のためにABCD包囲網を作った、という歴史解釈をして、日本は悪くないんだ、と言って何になるのか。逆に、日本が侵略をしたから悪いのだ、と歴史解釈したとして、侵略しなければ、戦争に巻き込まれずに済むと勘違いしていないか。1941年の国際情勢下で日本がどう行動すべきであったのか、は、善悪の話ではなく、もっと合理的に考える必要がある。三国同盟を破棄し、ドイツと手を切っていたら、アメリカの満州での利権を認めていたら、そこまでできなくても、せめて独ソ戦の経過をしばらく見ていたら。歴史上はもっと選択肢があったのではないだろうか。視点を固定して物を考えるのは危険だ。それは1941年も今も変わらないと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/5aa47380551059554fe2221b9d8ff4f4fb7454cb,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]