小野田紀美経済安全保障担当相は、定例会見で安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也被告についてのコメントを控え、過去に既に言及済みであることを理由にフリー記者の質問をかわした。フリー記者は安倍元首相と教団の関係についても執拗に質問したが、小野田氏は「所管外」としてこれに答えず、ニュージーランドのアーダン元首相の言葉を用い、テロリストに対するコメントを避ける姿勢を示した。
小野田氏は安倍氏が銃撃される前日に応援を受けており、事件に巻き込まれる可能性もあった。小野田氏は「一生整理はつかない」と語るにとどめた。

この問題を見て、まず浮かび上がるのは、事件への反応の難しさと、政治家としての言動の限界です。小野田議員がコメントを控えている理由は、テロ行為に対して過度な注目を与えないという理性的な選択かもしれません。しかし、このアプローチが必ずしも支持されるわけではありません。まず、情報公開と透明性を求める世論の声に対して、政治家がどのように対応すべきか再考する必要があります。二つ目の課題は、政治家自身が事件に対する個人的感情を表明することの意味を再評価することです。そして最後に、被害を受けた関係者やその可能性のあった人々に対するケアと理解を示すための方法を探ることが必要です。
この事件をきっかけに、私たちは事件への関与とそれに対する適切なコメントのあり方について、一層深い議論を進めるべきです。
ネットからのコメント
1、以前なら、記者会見の場に出た大臣は、どのようなくだらない質問にも必ず答えなければならないという空気がありました。テレビは自社の番組に使う映像を撮りたいがために他の記者がした質問を何度も繰り返したり、週刊誌やフリー記者はわざと挑発して感情的なコメントを引き出そうとしたり。それでもメディアをいたずらに刺激すれば、彼らが結託して、どんな報道をされるか分からなかったからです。しかし、ネットで記者会見が中継されたり、全てを視聴できるようになったりして、メディア側にも批判が向くため、記者にも節度が求められるようになりました。最近の政治家の記者会見は、質問する側のレベルも問われる場です。こうしたフリー記者も、いずれ淘汰されていくのでしょう。
2、>フリー記者は「裁判も終結した区切りを受けて、あの事件をどう振り返って、安倍元総理と教団のズブズブの関係について何もコメントしてないんですか?」(※判決も出ておらず、まだ終結はしていない)と何度も「ズブズブ」という言葉を繰り返して問いかけた。
小野田氏は「何もコメントはございませんし、この場というのは、わたしの所管に関することを省庁の意見を、しっかり所管の大臣としてお話しする場所で、あなたの意見を語る場所ではございませんのでその辺はご留意ください」と冷静だった。なんて丁寧な対応なんだ、と思う。フリー記者は、不愉快なことに、それを前提として、その環境に完全に甘え、依存している。
3、総理記者会見もそう、各大臣との記者会見もそう、本当に最近は記者の「質」が下がったよね。質疑応答の場所のはずが、いつの間にか記者が自己主張を展開し、自分に気に入らない回答内容だと、執拗に同じ質問を繰り返す。一体、何を大臣から引き出したいのか分からないし、それこそ時間の無駄。小野田大臣の姿勢には賛同出来るし「意見を語る場所ではございません」と言う一文に激しく同意致します。記者ももう少し賢くなって、自分の主張を展開するのではなく建設的な質問を是非していただきたいものである。
4、三権分立の大原則がある以上、山上被告の裁判について「経済安全保障担当相」という行政の人間が司法のやっている事に意見を挟むのは不適切です。
それを承知の上で揚げ足取ろうとしつこく質問したのでしょうかね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6271ed577994095c84faa706e8728538c7a2807e,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]