鈴藤實さん(94)は1945年8月6日に広島で原爆により家族6人を失いました。当時14歳だった鈴藤さんは、両親や姉を目の前で亡くし、自ら火葬するという極限の悲劇を経験しました。爆心地から約800メートルの自宅は焼け落ち、翌日から家族を探し続けましたが、父母はその後倒れ、最終的に死亡。鈴藤さんは、その後、家族の遺骨を手に生活を再建し、復興の中で新しい家族を持ちました。
被爆後80年が経過しても、彼の心の傷は癒えておらず、戦争反対の強いメッセージを伝え続けています。
ネットからのコメント
1、戦争で家族を亡くした鈴藤さんの記事を読み、涙が止まりませんでした。14歳で家族全員原爆で失い、両親や姉を自ら荼毘に付さなければならなかった苦しみは、想像を絶します。80年たった今も心の傷が癒えないのは当然です。戦争は何の罪もない家族の幸せを一瞬で奪い去ってしまう。このような悲しみは、二度と誰にも味わわせてはならないと思います。戦争体験者が少なくなる中で、このような証言は未来に語り継がなければならないと思います。平和は当たり前にあるのではないということを、深く心に刻む必要があります。
2、私の祖父母、曽祖父母も被爆者です。たしかにあまり戦争、原爆の話はしてくれませんでした。当時は全ての物を失いお金もなく食べるのに苦労したと。なので物々交換で曽祖母がもっていた着物と食べ物を交換してもらいなんとか食い繋いだとも聞きました。
先祖たちはみな口を揃えて戦争だけは絶対にしてはいけないと言ってました私は被爆3世ということもあり昨日会社の中で唯一私だけが黙祷をしておりましたやはり小さい頃からその環境で育ってきたので平和への思いは人一倍強いのかも知れません
3、辛いですね、辛すぎて読み進めるのがしんどかったです。2番目のお姉さんは原爆の熱と衝撃により亡くなられ、ご両親と3番目のお姉さんは急性放射線障害で亡くなられた。わずか14歳の少年が父母姉を看取るなんて残酷にもほどがありますよね。一番上のお姉さんは東京にいたようですから戦後は交流があったのかな。原爆に限らず戦争というのは親兄弟、妻や恋人、我が子を無残に殺して家族を引き裂いて、家を破壊して全てを失わせてしまう。本当にこういう経験をされた方の記録を読むたび、戦争は絶対にやってはならないと思います。ウクライナもガザも、戦っている双方の兵士たちに家族や愛する人がいるのに、早く終わってほしい。
4、読んでるだけでも本当に辛い・・数年前に母を亡くし火葬場の中に入って行くのを見ていて恥ずかしながら40手前で大泣きしてしまった。
自分の手では何もしてないで入って行くだけでスゴく辛かったのにそれを自分の手で火を付けるなんて自分には出来ると思えない。もちろんこの方が出来た事に避難してるわけじゃない。その時の状況がそうさせたのは分かる。自分が想像してる以上に酷で辛かったと思います。一生忘れる事なんて出来ないと思う。でも亡くなった家族の方は愛する息子さんに最期に送ってもらえてそこは幸せだと思ってるはずです。だから「焼き殺してしまった・・」なんて思わないでいただきたいです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/9d0bf0f0f17ca08f905cf01be71b0ba549f0b37d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]