中日の伝説的スカウトである法元英明氏と元中日スカウト部長の中田宗男氏がYouTube番組「新小松辰雄の剛速球チャンネル」に出演し、郡司裕也選手の日本ハム移籍による活躍に対する後悔を語りました。郡司選手は2020年に中日にドラフト4位で入団しましたが、3年間でわずか73試合の出場、本塁打0に終わりました。しかし2023年シーズン途中に日本ハムへ移籍し、打撃力が覚醒。
捕手だけでなく、三塁や外野手としても活躍し、2年連続二桁本塁打を記録しました。中田氏は「彼の持ち味はバッティングだった」と評価し、中日がその可能性を活かせなかったことを悔やんでいます。

郡司裕也選手の流出に関するこのケース、中日の現場とスカウト陣のコミュニケーション不足が大いに問題を引き起こしたといえます。打撃力という明確な資質を持ちながら適切に育成されなかったことは、球団の体制の不備を示しています。このような結果を招かないためには以下の解決策が必要です。まず、一つには、現場とスカウトの意見交換を頻繁に行い、選手の特性を活かす環境を整えること。二つ目には、若手選手に対しては特に育成プランを具体的に設け、個々の選手が持つ強みを伸ばすためのトレーニングを実施すること。三つ目には、選手自身が持つ潜在能力を、公平かつ頻繁に評価する仕組みを導入することです。
価値ある選手たちが自らの能力を発揮できる環境を構築することは、球団全体の発展にもつながるでしょう。この事案は中日の資源管理の欠如を浮き彫りにしましたが、これを教訓として将来の成功につなげることが求められます。
ネットからのコメント
1、木下が故障離脱して即戦力捕手が欲しいゆえのトレードだったのだが、そこで捕手の郡司を出すという判断は理解が及ばないところがあった。ドラ2がさほど起用されないまま3年あまりで放出は惜しいという気持ちは分かる。ただ、中日に居続けたとしても肩が弱いという判断をしていた郡司をサードで起用する判断が出来たとは思えない。打てるならどこでも守らせるという起用方針を掲げた新庄監督、その声に応えてほぼすべてのポジションを練習してアピールした郡司、両者の思いがかみあったがゆえの飛躍であったのではないか。郡司に関しては新庄監督のもとでないと今の郡司にはなれなかったと断言してもいいと思う。
2、当時の中日を見てた者として思うのは、そのまま中日に居続けても郡司選手は今のようにはならなかっただろうなということ。
捕手としての競争に敗れたと見なされてほぼ代打専用で使われて、数試合代打で結果が出ないと二軍落ちしてて、正直気の毒に思ってた。新庄監督が就任1年目に掲げた全員にチャンスを与えるという方針と、本人の捕手じゃなくてもいいから試合に出たいという思いがマッチした結果が今だと思う。
3、肩が弱く、キャッチャーとしてはという感じだった。中日でもレフトとかにチャレンジはしてたけどチャンスはほとんど無かった。ただ、今のようにセカンドやサードまでやるようになるとは思わなかった。環境が変わって、本人としてもどこでもやらないと生き残れないとチャレンジする気になったのでは。そういう意味で中日でチャンスが少なかったのも事実だけど、日ハムに行って本人の姿勢が変わったことの方が大きいと思う。
4、あのままドラゴンズにいてスタメンで使われたら、同じように覚醒していたでしょうか。あのとき違うチームにトレードに出されていたら、同じように覚醒していたでしょうか。今のチームで彼がサードを挑戦しますと言わなかったら、同じように覚醒していたでしょうか。
あのとき、あのチームにトレードに出され、あの指導者に声をかけられ、あの練習をしたから、今の彼がいるわけです。どれか一つでも欠けていたら、今の彼はないでしょう。ドラゴンズがトレードに出したから、今の彼がいる。そう思いましょうよ。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/cba4e216f3d2d3d00281875f58829965f65ee911,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]