1985年8月12日、日航123便が群馬県御巣鷹山に墜落し、520人が死亡するという日本の航空史上最悪の事故が発生しました。この事故後、遺体の搬送作業が始まり、遺体は体育館で検視を受けました。遺体は五体揃ったものから、損傷がひどいものまで多岐にわたり、時間が経つにつれ、炭化した遺体や内臓の一部が袋に入れられて運ばれました。
取材に当たったジャーナリストは、体育館内で腐臭とともに作業を進め、時には蛆虫が見つかる場面もありました。この事故を通じて、空の安全の重要性と現場取材の重要性が痛感されたのです。
あの事故から40年が経過し、改めて思い起こすと、我々が目にすることのできなかった部分がどれほど凄惨だったかが伝わってきます。事故そのものの衝撃的な事実に加え、遺体の状態やその後の対応があまりにも無慈悲なものであったことが心に深く残ります。
社会全体が事故の真実を知り、遺族の苦しみを理解しようと努めるべきです。そのためには、単なる事故の記録を超えて、システムや安全基準に対する深い再評価と、その後の改善策の提示が必要です。なぜこうした事態が防げなかったのか、どのようにして安全性を向上させるかという議論は、今も続けられるべきです。
再発防止策が具体的に実行されることで、命を奪う惨事を防ぐことができるはずです。
ネットからのコメント
1、記事中にあった藤岡女子高校に当時通っていた生徒です。女子高だったので安置所にするのは不憫だと躊躇があったようですが、それでも場所が足りないため最後に安置所になったと聞きました。事故は深夜のラジオで知りました。小さな自治体ですが翌日から駅も市役所もマスコミで大混雑、ヘリの音も1日中響いていました。以前にもコメントしましたが、当時JRCに入っていた友人はボランティアで体育館へ通っていました。今も多くは語りません。体育館はドライアイスで床がボコボコになり、建て替えるために体育系の部活に影響がありました。でも文句を言う子は見かけませんでした。事故後、学校周辺で「大阪はどっちですか」と言うおばあさんや、「お父さんを知りませんか」と言う子供に話しかけられたと言う噂話が広がりました。ご家族の元へ帰られていることを祈ります。
2、遺族の気持ちを考えるぺきとの意見多いようだけど、自分はその現場で職務をこなされた医師、看護師、警官などなどへ感謝を感じた記事でした。
先日現場で防護服の暑さと、消毒液と線香の匂いとに苦しみながら職務をこなされた看護師さんの手記を紹介する番組見たからかも知れない。顎だけの遺体に段ボールで体を作り、晴れ着を着付け、遺族に感謝されたとかのエピソードもあったそう。正直なところ、うなされるような仕事、手当も微々たるものでしょう。感謝しかありません。
3、なぜ日本政府はすぐに対応できる米軍の協力を拒否した?なぜ自衛隊だけで救助活動を行った?当時の総理はなぜこの件について墓場まで持っていくと発言した?わからないことが多すぎる。真相の全貌解明を。
4、あれから40年かぁ。早いなぁ。ご遺族、亡くなられた方々が1番苦しかったと思います。けど、救助活動や、遺体収集された方々の辛かった事は、想像を絶します。今だに精神病んでる方々もおられるとか。亡くなられた方々、ご冥福をお祈りします。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/97a4ebda1525b7a014c98350f09ddd1e709f0166,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]