事件概要:広島市安佐南区の梶山郁枝さん(103歳)は、1944年に広島市内の神崎国民学校で教員をしていたが、激化する空襲のため、広島県内の郊外に避難し、教職を辞めざるを得なかった。1945年8月6日、原爆投下により広島市は壊滅的な被害を受け、梶山さんも工場で負傷者の看護に従事した。広島での子どもたちや同僚の安否が気にかかる中、彼女は毎日多くの命が失われていく様子を目の当たりにしながらも、できる限りの支援を続けた。
戦後、梶山さんは家族と共に平穏無事な生活を送りながらも、当時の辛い記憶と共に生き続けている。
コメント:戦争による悲劇は、たった一度で命を奪うだけでなく、心に深い傷を残します。梶山さんが見たもの、体験したことは、想像を絶するほどの痛みだったに違いありません。しかし、戦後の復興を経て、彼女が家族との幸せな日々を過ごす姿には、人間の強さと希望が感じられます。多くの被爆者がその後を語ることなく心に秘めたままでいる中で、彼女が自身の体験を次世代に伝える重要性は計り知れません。戦争の記憶を風化させることなく、未来の世代に平和の大切さを伝えるために、その証言は必要不可欠です。
ネットからのコメント
1、時として戦争抑止の為に兵力増強や核武装論が持ち出されるが、広島の平和公園や鹿児島の知覧特攻平和会館を訪れると、涙が止まらなくなり、戦争の悲惨さと当時の方達の尊い犠牲の上で我々の生活が成り立っているのだと気付かされます。
同時にやはり戦力増強の道ではなく、同じ道を辿らないための努力を推し進めて行く方が正しいのではないかと思います。しかし現実は、周辺国が侵略的挑発を繰り返し、戦力増強せざるを得ない状況に悲しみを覚えます。どうか独裁的な国家が消滅し、民主的で平和な世界が来ることを願うばかりです。
2、では原爆を経験された方で生きている方の大体は子どもの時に原爆を経験された方が多い中で、この方のように大人になってから原爆を経験された方は今ではとても貴重だと思います。たしかに、この方は子供たちを守れなかった罪悪感があると思いますが、原爆の前ではその気持ちも無力。おそらく教員を続けていたら梶山さんの命も無かったでしょう。子供たちを救えなかったことをおそらくそのことを後悔されていますが、今このように数少ない被爆者として後世に原爆の悲惨さ、残酷さを語り継いでいっていること自体に意味があると思います。これからも体調に気を付けながら伝えていってほしいと思いました。
3、アメリカはとんでも無い事を罪の無い広島長崎の人々そして日本人にしてくれた、私は学校の社会科教育で何か日本や天皇陛下が悪い的な教育を受けた様な感じです、反米の気持ちは無いけれど教育の現場で戦争に至った経緯やこれからの平和についてしっかりこれからの子供達に伝えて欲しいと思う。
4、辛いですね、読んでいて本当に辛いが、原爆を経験した被爆者それぞれに私たちが想像しても決して理解できない程の辛い経験や物語があるんでしょうね。3人の子供が出来てから、子供が犠牲になる戦争の話は本当に辛い。原爆や他の東京や大阪やその他の街で焼き殺された子供たちを思うと、その親たちは本当に辛かっただろうと思う。先生ですらこんなに辛いんだから。もう2度と子供たちが巻き込まれ、殺されるような戦争をしてはいけない。子供たちに明るい未来を残すために親、大人たちはちゃんと今の世界を糺していかなければと思う。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/1546e41f5c966cfa9a3ac42f7b052b7afc5f5bbf,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]