俳優の高知東生(60)は、2025年7月25日、自身のX(旧ツイッター)アカウントで「差別を許さない」と声高に主張する人々に対する私見を述べた。彼は「差別を許さない」と叫ぶ人々が「自分は賢い人間だ」と思い込んでいると指摘し、逆に「誤解や偏見から簡単に差別する人間」の方が信頼できると主張した。
高知は、すべての人が全てを知っているわけではなく、時には無意識的に差別的な行動を取ることがあるため、「うっかり差別しているかも?」という認識を持つことが重要だと強調した。
高知東生の発言には問題がある。彼が「差別を許さない」と叫ぶ人々に対して批判的な立場を取るのは、差別の問題に対する認識が不足しているためだ。確かに、人間は誤解や偏見から差別的な言動を取ることがあるが、だからこそ「差別を許さない」という姿勢が重要であり、差別の無自覚的な容認は許されるべきではない。高知のような発言が広がると、差別の根絶に向けた努力が遅れ、社会全体の意識改革が進まない恐れがある。
問題の本質は、無自覚な差別を許容してしまう文化にある。自分自身が「賢い人間だ」と信じる人々が、差別の問題に無関心でいることが多い。
これを解決するためには、教育現場やメディアでの意識向上を進めることが急務だ。まず、無意識の差別に対する教育を充実させること。次に、差別的言動を取り締まる法的措置の強化が必要だ。最後に、社会全体での対話を促し、共感を深める活動が重要となる。
差別は個人の問題にとどまらず、社会全体に影響を及ぼす問題である。無自覚な「差別を許さない」姿勢の推進が、真の解決への第一歩となることを忘れてはならない。
ネットからのコメント
1、物心ついた頃から学力や体力を学校で差別化されてきた。社会に出てからは勤めた会社の規模で仕事の内容で、貰っている給与の額で差別化されてきた誰しも表面上は差別なしでも無意識の中に差別をして、常に人と比較してる差別を無くそうとかやめようなんて綺麗事言う前に差別も区別もある事を前提に「思いやり」のある社会を築いていこう
2、「多様性を尊重すべき」と声高に叫ぶ人ほど、それに与しない人間の存在を許さないのと似たようなものだと思います。誰もが差別心を持っているという前提で、いかに相手を傷つけずに生きていくかということは全ての人が考えていくべきだとは思いますが「許さない=存在を認めない」とも解釈でき、これこそ究極の差別なんじゃないかとも感じています。
3、世の中『差別である』と考えようとすれば差別に出来るものは無限にあると思う。未来ある未成年に選挙権が無いのは差別かもしれないし、出入国する際にパスポートを提示し国籍証明を求めるのも差別かもしれない。新幹線で普通席とグリーン席を分けるのも差別かもしれないし、企業に役員と平社員が居るのも差別かもしれない。区別と差別をごちゃ混ぜにすると社会は簡単に壊れるものだと思います。要望が通らなければ何でも差別にしようとする人間は危険であり信用してはならないのは事実だと感じます。
4、全くの同意。そもそも区別と差別の線引きが曖昧すぎやしないか?わかりやすい処なら男女差別な。あからさまな給料格差は絶対ダメだが、体力などの得意分野で区別はあってしかるべきじゃね?え?これって差別?区別してるだけじゃないの?って感じることは多い。自身の愛する人・家族や恋人とそうでない人を平等に扱うことなんて出来る訳ない。誰だって好き嫌いはあるしな。弱い立場の人は守りたい。何も不当に嫌う必要もない。そして守られる側が不当に権利の差別のと語る必要もない。
理想論だがそんな事を思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6b2e31d06c5a7f487312d887e55b0fb9aba59fa4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]