事件概要
2025年8月9日、長崎市で開催される平和祈念式典において、長崎出身の福山雅治が作詞作曲した「クスノキ」が初めて地元の小学生によって歌われることが決定しました。この曲は、福山が自身の被爆2世としての経験を基に、原爆の象徴である被爆クスノキをテーマにしたものです。
1945年8月9日、米軍のB29が投下した原爆で、長崎の街は壊滅的な被害を受け、約7万人が命を落としました。被爆から数か月後、山王神社のクスノキは再生し、長崎復興の象徴となりました。福山はこのクスノキを守るため、募金活動を行い、長崎市は「クスノキ基金」を設立。式典での歌唱は、若い世代に平和の大切さを伝えることを目的としています。
コメント
長崎原爆から80年。被爆樹木のクスノキは、悲劇的な過去の象徴であり、復興の象徴でもあります。その再生力は人々に希望を与え、時が経つにつれてその価値がさらに増しています。福山雅治の「クスノキ」は、長崎の過去の痛みを継承し、平和の大切さを次世代へと伝える大切なメッセージとなっています。
80年という長い年月の中で、被爆者たちが語り続けた「核兵器廃絶」の願いがいまだ実現していない現状を見ると、被爆樹木や福山の歌が次世代にどれほど強い影響を与えるかが重要です。生き抜いた樹木、歌、そして募金活動によって、被爆の実相を後世に伝えることが求められています。
ネットからのコメント
1、福山さん自身被爆二世で、カミングアウトしたのも割と最近の事。福山さんに限らず、原爆について語る人も逆に増えてきたと聞きます。特に高齢となった被爆者ご本人が、長年沈黙してきたけど「今語り継がなきゃ後悔する」と、辛い記憶を呼び戻して一生懸命語ってます。本当は口に出したくない事ばかりでしょうに。こうして、歌で伝えていくのも大切ですよね。
2、ニュース見て初めて知ったな。クスノキのたくましさは、人の心に力強さを伝えてくれたんだな。木はシンボルに過ぎないだろうけど、一人ひとりが頑張って今の長崎に至るんだろうな。その上に今の我々がいる事を忘れてはいけないな。
3、30年来の福山さんファンで、この歌で被爆クスノキを知り、だいぶ前に長崎旅行に行った時に山王神社に行ってみました。
本当に普通に地元の方が生活している穏やかな街の中に原爆の爪痕をそのまま残していて、ビックリしたのと同時にその意味を考えさせられました。どうか戦争なんて、なくなりますように。
4、この歌には「黒い雨」という言葉が出てきます。でも、国はこの地域に降った黒い雨を公式には認めていません。それでも、当時の人たちの証言をもとに、その雨の存在を歌詞に込めてくれていて、そういうリアルな視点は、福山さんにしか書けない歌詞だと思います。長崎では「西山地区以外に原爆投下後降雨があったとの客観的な記録がない」とされてるらしく、今も裁判を続けているようです。広島では岸田政権の時代に「黒い雨」を浴びた人が救済され、被爆者と認定されました。しかし長崎では、同じような救済がなされておらず、不公平さを感じます。政治的な力の差が影響しているのかもしれません。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/fa4fe09a90166ca014de09c1867276fa59ad98f6,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]