日本がアメリカと戦争を始めた背景について、連合艦隊司令長官の山本五十六が強く反対しながらも、真珠湾攻撃を強行した理由が取り上げられています。日本は明治時代からアメリカを「仮想敵国」とし、戦争の準備が進められましたが、海軍は対米戦争を避けたいと考えていたものの、三国同盟締結後、衝突は避けがたいと認識し始めます。
特に、昭和16年の真珠湾攻撃に向けた準備が始まる中、山本五十六は戦争を避けるために、しばしば非常識な要求をしましたが、最終的に攻撃に踏み切ることになります。この決定は、戦争に対する海軍の立場や準備不足を浮き彫りにしました。
戦争の判断を下す立場にありながら、海軍内では「できない」と言えなかったことが、日本の敗戦への大きな一因であることは明白です。山本五十六は「アメリカとの戦争は負ける」と認識しつつも、指導者としての責任から攻撃を強行した点に深い矛盾が見られます。海軍の戦争準備も、日露戦争の再現を狙ったものに過ぎず、実際には未整備な部分が多く、無謀とも言える真珠湾攻撃に進むこととなったのです。
このような状況を招いた背景には、組織内での意思決定の不徹底や、政治的判断に対する従属的な姿勢がありました。
開戦前に「できません」と言う勇気を持つべきだったが、その強い意志が欠けていたことが最終的に敗北を決定づけたのです。今後、歴史を振り返り、同様の過ちを繰り返さないためには、組織内での責任を明確にし、無理な要求を拒絶できる強いリーダーシップが求められます。
ネットからのコメント
1、的確な考察だと思うが、もし山本長官が頑として開戦を拒否したら、自身は更迭されて他の、おそらくはより能力の低い者をトップに据えての開戦になるだろう。南雲さんとか。そうなってしまったら、すでに百に一つの勝ち目の中で、万に一つの勝ち目も無くなってしまう。開戦を避けることが出来ないと覚悟したが故の、勝ち目のない戦いに臨んだのだと思います。
2、戦争の終わらせ方をマトモに考えていなかった事に尽きるだろう。まあ、有るには有ったけれどそれはイギリスをドイツが屈服させる、という他力本願な物。1941年12月8日の時点でバトル・オブ・ブリテンでの敗退とアシカ作戦の中止、独ソ戦の開始で破綻していた物だった。こうして終わらせ方の無い戦争に突入した事は大日本帝国と日本人に多大な災いをもたらす。
帝国海軍がソロモン諸島で戦力の過半を失っても、マリアナ沖海戦でほぼ壊滅してしまっても、レイテ沖海戦で残存戦力まで失っても戦争を止めず本土空襲と沖縄戦という悲劇を招いた。
3、日本がなぜ太平洋戦争を始めたのか、その原因や責任の所在について、いまだ統一的な理解が形成されていない。広島の原爆碑に刻まれた「あやまちを繰り返しません」という言葉においてすら、その「あやまち」が「戦争そのもの」を指すのか、「原爆投下」なのか、「開戦決定」なのか、色々と解釈が分かれ、国民的な合意に至っていない。事実認定の不一致、評価基準の対立、そして政治的・感情的要因による論点の回避が重なり、総括の作業が先送りされ続けてきた。戦後80年近くを経てもなお、歴史的教訓を共通の基盤として持てず、日本は過去の過ちを再発するリスクを抱えたまま現在に至っているわけだ。絶望感を抱かざるを得ない。
4、海軍最高の頭脳が考えた作戦、誤りてばなかったのであろう。結果論から言えばなんとでも言える。山本大将は戦果拡大の後の外交による早期講和を望んでいたようである。
現にシンガポール陥落後イギリスは単独講和の申し入れをしている。日露戦争のように外交戦に移行しなかった日本政府及び軍部があまりに愚かだった。米軍も真珠湾攻撃により着底した戦艦のために港を使えず日本への反攻を遅らせる事態になって時間稼ぎに成功している。(ただし米軍の超人的なサルベージ技術で港の機能を早期に回復しているが)その時間を利用し広がり過ぎた戦線を縮小し防備を固めるべきだったのに逆に戦線をさらに広める始末。山本大将がと言うより戦争を遂行する軍部があまりに愚かだった。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f87617da9df71520c597a35aa3ef2ce674469299,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]