阪神淡路大震災の発生から31年が経過し、神戸市中央区の東遊園地では追悼行事が催された。震災による死者は6434人(関連死含む)、行方不明者は現在も3名に上り、未だ家族が見つからない人々の悲しみが続いている。追悼の場で母が行方不明のままの佐藤悦子さん(62)が述べた言葉には、31年間の喪失感が深く刻まれている。震災の傷跡は心から消えることなく、母親との「サヨナラのない別れ」を経験した佐藤さんは、自身を含め震災被害者の抱える痛みを共有し、その日常の重みを伝えていた。

悲劇の傷は年数を重ねても消え去ることがありません。佐藤さんの言葉から、愛する人を突然失った事実がいかに重いものかが痛感されます。どうしても過去を悔やむ気持ちは湧いてしまうものですが、それは自然であり、誰もが理解できる心情です。この先も続く「会えない日々」に向き合う中で、一人で抱え込まないことが大切です。
震災の経験を語り、共有することで、記憶と悲しみを一緒に受け入れる力も育てられるでしょう。震災で失った家族への思いが佐藤さん自身の心の拠り所であり続け、またそれが他の人々の心にもたらす癒しにつながります。今を生きることが大切です。前を向きながら、少しずつ心に灯る希望を見つけられるよう祈っています。
ネットからのコメント
1、大阪中部に住んでたのですが、ボロい家だったのでかなり揺れたのを覚えてます。若干16歳でしたが、布団の中でずっと天井を見てました。隣の部屋では、18歳の姉が10歳の妹の上に覆い被さり、守ろうとしてたそうです。あの頃からよくできた姉だと思う。今は自分が家族を守る立場。防災避難グッズ含めて、家族を守る準備をしないと。
2、阪神・淡路大震災が起きてから、もう、31年も経つんですね。私が何歳の時だったんだろう?今年で68歳になるから、37歳の時だったんだ。今と違って、歯もあり、膝痛もなく平気で歩くことが、出来てた時だった。その時は、まだ離婚してなかったので、大阪にいた時だった、朝、雨戸を開けようとした時に、ゴーッと地面から凄い音がして何事と思ったのを思いだします。
両親が、神戸市の観光地に住んでいるので、直ぐに電話するもつながらない。心配で隣の家に電話して聞くと、両親が、大丈夫だと聞いてホットしました。居ても立っても居られなかったので、50ccバイクなら行けると思って、両親の家まで途中でバイクで行けない状態にバスが出てると聞いてやっと家に、両親が、壊れた物を片付けてる姿を見て生きてた本当に良かった。その後、父は、肝臓がんで亡くなり、母は、今年96歳になりました。地震は、本当に怖いです。南海トラフ巨大地震が心配です
3、発生から31年。震災の傷はいまだ癒えず、行方不明のまま歳月を生きる家族の時間が続いています。私たちが忘れない姿勢そのものが、残された人の支えになる。追悼は過去に向けた行為であると同時に、備えを今日に引き寄せる合図でもあると思う。少なくとも、家族で避難先と連絡手段を一度決め直す。それだけでも意義はあると思います。
4、震災から31年…被災されて亡くなられた方々のご冥福をお祈りします同時に、まだ被災した時のトラウマに苦しんでいる方々にも「前向きになれない自分」を責めず、今日まで生き抜いてきたことを褒めてあげる一日であって欲しいと思います9月1日だけでなく、今日の日と3月11日も我が家では防災の日にして、手を合わせつつ自らを備える一日にしています今日の昼と夜はキャンプ飯…電気ガス水道という生活インフラのありがたさも感じつつ、当たり前の生活の幸せも再確認して、家族と自分に優しくしようと改めて思います合掌
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a07e192c7c4154c613d2c1049562874fe55a3358,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]