事件概要:2025年8月1日、東芝は東京都港区芝浦地区にある本社を神奈川県川崎市に移転した。芝浦は東芝の創業時から約140年間、企業の成長や危機を見守ってきた場所であり、社名の由来でもある象徴的な地である。本社の移転に伴い、芝浦にある高層ビル(高さ165メートル、地上40階)は取り壊され、再開発が始まる。移転先は川崎駅近くの事務所で、8月中に社員の引っ越しが完了する予定。
この本社ビルは1984年に完成し、社名も「東京芝浦電気」から「東芝」に変更された。
コメント:東芝の本社移転は、単なる場所の変更にとどまらず、企業の歴史的な節目を象徴する出来事です。芝浦で培われた多くの成果や時には混乱も、企業の成長にとって重要な一部でした。しかし、企業の転換期を迎える中で、この移転が持つ象徴的な意味合いには多くの考慮が必要です。移転に伴うエモーショナルな面もあれば、物理的な再開発とともに都市の風景が変わるという現実もあります。企業の成功と拡大には、過去をしっかりと振り返ることと同時に、新しい未来を見据えた前向きなステップが必要だと感じます。
ネットからのコメント
1、「田中製造所」で発祥して「芝浦製作所」と改称。東京電気「東京芝浦電気」となり、そして「東芝」社名変更。
確かに芝浦の地からは離れますが、実際のところ東芝って川崎ですよ。堀川町や柳町、小向に大きな工場を建てて躍進し続け、川崎市からは知名に東芝の名を入れられるくらいに親しまれていたのだから。心機一転で経営改革が進むと良いですね。
2、舛岡富士雄さんなど優秀な技術者がたくさんいても経営者によって会社が傾いていく典型。西室、西田など社内政治家とイエスマンのヒラメばかりになると会社は終わってしまうということ。雪印もメグミルクとして何とか社名は残っており、東芝の社名は残って欲しいとは思う。
3、考えようによっては、創業者は当時は価値のないようないいところに本社工場を築いたおかげで、現在の状況を乗り切れる基礎を作ってくれていたのでしょうね。これから先はその貯金もないわけですから、その後どうなっていくかは経営陣の腕次第でしょう。
4、本社の移転先である川崎市のラゾーナエリアは、以前東芝の堀川町工場があった時代は登記上の本社所在地だったので、(芝浦は本社事務所としていた)結果的に名実ともに元の場所に戻ったとも言える。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/5f11004762a2c667dc68c7ea80879d2deea26882,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]