日本F1ブームを支えた中嶋悟氏が現在も「運転が好き」という初心を貫いていることが報じられた。73歳を迎えた中嶋氏は、日本人初のフルタイムF1レーサーであり、1987年から1991年まで活躍。その後は「NAKAJIMA RACING」を運営、若手の人材育成に尽力中。愛知県の自宅から300km以上離れたサーキットや東京本社へ、今でも自身の運転で通勤するのが日課だ。F1参戦当初は34歳と遅咲きながら、全日本F2選手権で5度のチャンピオンを獲得するなど、その実績は日本のモータースポーツ界の礎とされた。引退から35年を経た現在も挑戦を続ける中嶋氏の哲学は、後進への支援と自己のドライビング愛によるものだと語られている。

中嶋悟氏の人生から日本モータースポーツの進化が刻まれていると感じます。
当時、自動車レースは国内では「半端もの」と見られており、F1参戦への道は平坦とは程遠いものでした。しかし、海外での挑戦や志を持つことで、自分自身だけでなく、日本モータースポーツ全体のイメージを大きく変えた功績は計り知れません。現在は後進の育成にも力を注ぎ、単なる成功者として留まらず未来を見据えた活動をされています。

人生を通じて「運転が好き」という初心を貫く姿は、自分の情熱と向き合い続ける人の普遍的な強さを教えてくれます。同時に、「もしいつか自分で危険だと思ったら運転をやめる」という冷静な判断力は、年齢を重ねても挑戦し続ける理想的な姿勢です。中嶋氏のように、自分の信念を持ち、周囲を巻き込む力を育てることは、人生の糧となるのかもしれません。一歩進む勇気を教えてくれるエピソードに感謝します。







ネットからのコメント
1、ジジ臭い感じになりますが、80年代の古き良きモータースポーツの時代を思い出しますね。電子制御も高精度なコンピューターシミュレーションもなく、ドライバーと技術者の経験と勘を中心に作り上げられた車で、ダーボでアホみたいにパワフルだったり、でもすぐ壊れて動かなくなったり、早く走るにはドライバーの根性が重要だったり、いまよりも「スポーツ」だったよなという気がしますね。
2、車の免許取得時に中嶋さんの運転の極意の本を見つけて買って今も役に立っているな。速さどうこうよりエピソードや安全寄りの本で高速道路の走り方や追突されるのも恥という考え方に感銘受けたので、教習所でも取り入れてほしい。
3、1000馬力超の3ペダルHパターン中嶋さんがデビューしたころのエンジンが1300馬力とも。当時はアクセル、ブレーキ、クラッチの3ペダルがあって、シフトもHパターンで、パワステもなし。
コーナーで2速まで落として、フル加速していく間右手はシフトレバーのまま、流れる車を押さえつけながら左手だけでハンドルでコントロール、という恐ろしい時代でしたね。途中給油がレギュレーションで許されていなかった時代で、スターと時は満タンで195L搭載、ゴール間際は予選のような軽量車体で。しかも、今より軽い最低重量で。物凄いドライバーたちでしたね。そのなかで戦ってきた中島さん、凄かったです。チームメイトも、セナ選手、ピケ選手、アレジ選手、モデナ選手。2人はタイトル獲得者。これも強烈。
4、中島悟さん、お元気そうで何よりです。中学生のころ、夜中起きて親にばれないようにフジテレビのF1中継をかじりついて観ていたことを懐かしく思い出します。中島さんと言えば雨のナカジマ、1989年オーストラリアGPでの雨の中での走りが忘れられませんね。周りの車が次々とリタイアする中、3位を走行するリカルド・パトレーゼのウィリアムズ・ルノーを追い回して、スリップストリームに入った、抜ける表彰台だ!と思うたびに速度が出なくてなかなか抜けず、4位で終わった悔しいレースでした。
確かこの時最初で最後のファステストラップを記録したはず。日本人F1レーサーのパイオニアとして多くの日本人を勇気づけ、憧れだった中島悟さん、いつまでも車を楽しんで長生きしてほしいです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/03631817cb39225f265c607f38e9b2a354fb63c9,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]