青山学院大学は、1982年に神奈川県厚木市森の里に厚木キャンパスを開設しました。この場所はニュータウンの一角で、人通りもほとんどない地域でした。6000人規模の学生が通ったものの、周囲は飲食店や商業施設がほとんどなく、食堂や通学の不便さが問題化。特に交通アクセスは、バスの本数不足や頻発する渋滞により通学困難が常態化していました。さらに、期待されたモノレール構想も中止され、利便性向上は達成されませんでした。これらの問題背景には、都市内でのキャンパス拡張を制限した「工場等制限法」により、大学が郊外進出を余儀なくされたことがあり、結果として厚木キャンパスは2003年に閉鎖されました。

郊外進出の背景や政策の矛盾から、本件には制度的欠陥や計画性の不足が感じられます。以下にコメントを続けます。
青山学院大学厚木キャンパスの事例は、政策の無計画さと教育環境の軽視が浮き彫りになった典型例でしょう。首都圏の都市部に大学の拡張を制限した「工場等制限法」は、時代の要請とはいえ、本質的には教育機関を「問題解決の対象」と見なす誤りから始まっています。この規制は、大学が必要な校地確保を追求する中で、やむなく郊外への進出を強いる結果となったのです。
厚木キャンパスでは、開設初期から通学バスの不足や周辺環境の未整備が学生生活に多大な負担をかけ、モノレールの不実現も状況を改善できませんでした。これは明らかに、政策的な交通整備の欠如や、住民・学生の利便性を考慮しない都市計画の問題です。大学誘致に伴う基盤整備が不十分なまま進行した点は、自治体と大学間の連携の不全を象徴しています。
この失敗を繰り返さないためには、(1)キャンパス開発と同時に周辺交通インフラを整備する政策の義務化、(2)教育施設を他の対象と一括規制しない法律改正、(3)学生の声を反映した都市計画の導入と継続的な検証が不可欠です。
これらを講じることで、教育と社会のバランスを図り、同様の失敗を未然に防ぐことが可能となるはずです。
大学は「知の創造」の場であり、それを支える環境を犠牲にすることは、社会全体の成長をも妨げる危険性があります。この事例は、個別の失敗ではなく、公共政策のあり方を再考する教訓として、これからの都市政策にも反映されるべきでしょう。
ネットからのコメント
1、学生時代の充実感とは、単に講義を受けた記憶だけではなく、学生街で過ごした時間も大きいと思う。古本屋、喫茶店、定食屋、飲み屋…。そこで友人や先輩後輩と語り、時には無駄な時間を過ごす中で、人間関係や価値観が形作られていく。大学は「教育施設」であると同時に、「街の文化」を育てる存在でもある。だからこそ、郊外移転でキャンパスだけ立派になっても、学生街の空気まで再現するのは難しい。東大や京大、早稲田の周囲に今も独特の学生文化が残っているのは、やはり大きな財産だと思う。
2、厚キャン最後の年に入学しました。当時、厚木キャンパスの必修科目の単位を取れずに三年生(渋谷キャンパス)になると、必修科目のためだけに厚木に通う「厚木返し」というワードがありました。
淵野辺キャンパスに移転すると「野辺バック」になった。今でもそんなワードが使われているのかな。厚キャンで帰りのバスを待つ夕刻、薄暗い森の里にカラスが飛び交う光景がいまだに思い出されます。
3、懐かしい、、、タクシーを5人で相乗りしたり、先輩の車に乗せてもらって1限に間に合わせるため東名を飛ばしたり、1時間半かけて本厚木駅に着いたら休講と分かって呆然としたり(当時はインターネットも携帯さえなかったので笑)。全てが懐かしい思い出。何もなかったから一年生と二年生は仲が良かったように思います。
4、私が子どもの頃は、厚木は神奈川県央・県北のメインだった。厚木高校は県下有数の進学校で有名であり、青山学院厚木キャンパスが出来た時は、また相模原が埋没すると怯えたものです(笑)青学に逃げられた厚木は低迷の一途。今は隣の海老名の方が全国的に有名になりました。厚木はチャンスを活かせませんでしたね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/93b96974f18cbd66f2fe1b6c6cf8df1c58d10d61,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]