【事件概要】
2024年7月24日発売の「週刊新潮」に掲載されたコラムで、作家の深沢潮氏が「日本名を使うな」などと名指しで差別を受けたことを受け、8月4日、東京都内で記者会見を開いた。問題のコラムは高山正之氏による連載で、外国ルーツの人物に対し、日本名の使用を否定する差別的表現を含んでいた。
深沢氏は2012年に新潮社からデビューした経緯があり、同社に文書での謝罪と反論の機会を要求。会見には多くの作家から抗議の声が寄せられた。新潮社は謝罪文を掲載したが、他に名指しされた人物への言及はなかった。
【コメント】
公器たる出版メディアが、少数者への差別を「意見」として流通させた責任は極めて重い。コラムで用いられた「日本名を使うな」という表現は、歴史的背景や民族的尊厳を無視し、特定の属性に沈黙を強要する暴力そのものだ。新潮社は、作家の深沢氏を育てた立場でありながら、公然と傷つけたこの事態を「編集の不備」で片付けるべきではない。
本質的な問題は、編集部に差別的表現を選別する倫理的センサーが欠如していること、また組織としての説明責任が不徹底であることにある。
メディアには発信と同等の自制が求められる。
対策としては、①差別表現のガイドライン制定と運用の透明化、②編集責任者の説明責任の明文化、③被害者の反論・訂正権を保障する社内制度の構築が急務だ。
言論の自由とは、権力や多数派が弱者を踏みにじる免罪符ではない。表現を預かる者にとって、最低限の倫理がなければ、それはただの暴言発信装置に成り下がる。
ネットからのコメント
1、ウィキペディアの記事が正しいのなら、この深沢潮という小説家は、デビューの2012年から遡ること20年近い1993年には、結婚を機に日本に帰化して日本国籍になっている。スウェーデン人の庭師が日本に帰化して村雨辰剛と改名したり、アメリカ人の日本文学者が晩年に日本に帰化して鬼怒鳴門と改名したり、外国人が日本帰化を機に日本的な響きや字面の名前に改名するというのはよくある事だと思っていたが、新潮に載ったエッセイは、それを非難しているのだろうか?そうだとしたら、一体どういう理屈なのかさっぱりわからない。
2、右派的な事を求める層がいるにしても、新潮社は前科があり、差別をビジネスにすることの危うさを分かっているはずなのにまたやらかした。
書いた人は元産経なのでやりかねないにしても、出版社としてそのような人物にコラムを書かせるのは軽率すぎる。チェックをした上で出したのなら言い訳もできない。
3、新潮社から深沢氏に謝罪していることは分かるが、何をどうして謝罪しているかはHPの文面では分からない。> 担当者は朝日新聞の取材に「編集部から筆者に、世論や社会の要請についてお伝えすることが十分でなかった。それが結果として今回の事態を生んだ原因の一つ」と話した。 というのもよく分からない。「筆者」というのはコラム筆者の高山氏なのだろうが、世論や社会の要請について伝える、とはどういうことなのか。コラムで深沢氏の名前を出したことが間違いだったのか、日本名を使うなと言ったことが許されないのか、曖昧だ。さらに「今回の事態を生んだ原因の一つ」というのも曖昧で、他にも原因があるというのか。 改めて週刊新潮、新潮社の編集姿勢の甘さが示されたというべきだろう。
4、問題のコラムの筆者である高山正之氏は元産経新聞記者で、デスクや支局長を歴任した人物。筆者の主張が右でも左でも個人の自由だが、事実関係において誤った内容をコラムに記載するのはジャーナリストとして失格だし、その誤った内容を元に他人を批判するのはありえない。
産経新聞は、沖縄自動車道での事故で米兵が救助にあたったと報ずる中で、それを報じない沖縄現地二紙を「報道機関を名乗る資格はない、日本人として恥」とまで批判したにも関わらず、事実でないことが発覚し記事取り消しと謝罪したことがあったり、世論調査を捏造したことがあったが、今回の高山氏のコラムのスタンスと根底で繋がっていると感じる。もし高山氏が、次回コラムできちんと謝罪・反省できないのであれば、もう良いお歳だし、これを機に連載を止めてはいかがか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/1bcabf56bbb69cb5c280696e754a053d63a2222b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]