1945年4月6日、鹿児島県の串良基地から沖縄方面へ出撃した藤井真治大尉は、特攻隊員として戦死した。彼は出撃前に弟や家族へ遺書を残し、その中には幼い弟への深い愛情と戦争への覚悟が記されていた。藤井大尉は南太平洋での戦闘経験を持ち、教官時代も多くの人に慕われていた人物だった。彼の遺書や関連品は、戦後80年を迎える今、彼の故郷である宮崎県都城市の歴史資料館で展示され、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えている。
戦争の過酷さを目の当たりにし、失った家族の大切さを実感する話に心が痛みます。藤井大尉のように、戦争の犠牲になった多くの方々の思いは計り知れません。私も似たような経験を通じ、離れてしまった家族を思い続けて生きています。今私たちができることは、彼らの犠牲を無駄にせず、次世代へ平和の尊さを伝え続けることではないでしょうか。そして、その道があったからこそ、今があると信じ、未来を築いていくことにしましょう。この特別展が多くの人にとって、平和への考えを深める機会となることを願ってやみません。
ネットからのコメント
1、私は今年62歳。病もあって自分のことで精一杯。それに引き換え、藤井大尉は27歳の若さ。京大を卒業し、心も身体も素晴らしく健やか。平和な時代であったら、どんなに明るい未来があったろう。
社会に貢献しただろう。勿体ない!藤井大尉のような宝を散らすなんて。親御さん…否、ご本人は悔しかったろうに。
2、この時代の方は命の重さを痛感しておられるだけに家族への愛が深いですよね。鹿児島の知覧特攻平和会館に展示されている手紙も家族に遺した物が多く、どれも涙無くしてみることは出来ません。最年少は17歳、最年長者でも32歳。平和な時代なら沢山の夢や希望が溢れていただろうに。ご本人は勿論のこと、ご遺族もさぞや無念だったと思います。
3、今日、お墓参りの帰りに宇佐海軍があった元滑走路の道を通りました。田んぼの中に突如、永遠と長く続く真っ直ぐな道が表れ、今は普通の道ですが、元滑走路であった面影が今でも色強く残っています。周りには、石を模した墓標のようなものが規則正しく置かれ、かつて若い命が旅立っていったかと思うと感慨深いものがあります。
4、今も昔も変わらない。野球部員のいじめ問題やブラック企業、昨今の政治家を見ていて思うことですが、上に立つ者が下の者を顧みない。時代が時代なら貴重な若い青年を特攻隊に送り出す…ちなみに欧米ではクリスマスの休戦も設けていた(流石に第二次世界大戦の時はなかったようですが)らしいですね。
自分の国の事を下げる事は書きたくないですが日本特有だなと、、
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/128866454d19662e9a236488e96dafb2da334bbd,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]