8月15日、兵庫県の斎藤元彦知事が全国高校野球選手権の兵庫代表東洋大姫路高校の試合中、甲子園球場の外野スタンドで黙祷を捧げる写真をSNSに投稿しました。終戦記念日であったこの日は、兵庫県内でも戦没者追悼式典が行われていました。斎藤氏の投稿には祖父の戦争体験を交え、日本の平和の重みを訴える内容が含まれていましたが、黙祷の写真には物議が生じました。
写真は黙祷の時間外と思われ、背後の観客が座っていることから「パフォーマンス」との指摘が相次ぎました。知事秘書課は「プライベート」観戦で詳細を明かしませんでしたが、写真の意図がアピールに見えるとの批判も寄せられています。
この件は、公共の場での行動とSNSへの投稿が適切かどうか、特に公職者が象徴的な日である終戦記念日にどのように行動するべきかという問題提起をしています。公職者の黙祷を捉えた写真が意図的にSNSに公開されたことに対して、一部の視聴者からは疑問の声が上がっています。黙祷という厳かな時間を個人的なパフォーマンスとして扱うことの是非が問われています。まず、公共の行事における行動と個人のSNS利用について、より透明性を求めるべきです。公職者は、象徴的な行事に参加する際の行動に対し、細心の注意を払い、公私の境界を明確にする責任があります。
適切なガイドラインを策定し、公職者のSNS利用の目的を明確にすることが求められるでしょう。黙祷の場面を公にする行為が、果たして本当に必要で意義あるものであるのか、社会全体で議論が必要です。斎藤知事の行動が物議を醸した背景には、終戦記念日という特別な日において、県トップが示した行動とメッセージの間に矛盾があるとの指摘があります。問題は黙祷の時間外に撮影された写真が果たして本来の目的を果たしているか否かにあり、SNS活用への批判は公職者のイメージと責任の矛盾を明らかにしました。今こそ公職者の公私利用はより厳格に管理されるべきです。
ネットからのコメント
1、この問題の論点はプライベートであるか公務であるか、というところではない。8月15日という日本人なら誰もが知っている追悼の日に戦没者追悼式典に出席せず甲子園を観戦していた、それをSNSに上げて喜んでいるということだ。これを非常識とみるか、別にプライベートだから何をしても構わないとみるか、だろう。非常識だとみられても仕方がないと思うがどうだろうか。
2、終戦日であること、80年と節目であること、その重要性が悪気なく理解できないんじゃないですかね。
恐ろしいのはそれを指摘する人が周りにいなかったこと。事後指摘した人は叩き潰されたこと。反斎藤派の声は無視され、斎藤派は礼賛するのみ。先鋭化が進んでいますね。
3、周りが立ってるか座ってるか、黙祷がパフォーマンスかどうかは別として、この人はやることなすこと物議を醸すよな。県内の平和式典に代理を立てずに自分が行ってれば良かっただけだろ。
4、斎藤知事は、知事としての仕事の内容だけでなく「どう見られるか」をとても大事にする人です。SNSでは自分が写っている写真をよく投稿し、背景にイベントや景色を入れて「その場にいる自分」を強調します。そうすることで県民に存在感をアピールしているのです。今回の黙祷写真も「祈る姿を見せたい」という思いから出たのでしょう。ただ、黙祷は本来心の中で静かにするものなので、人によっては「パフォーマンスっぽい」と感じ、不自然に見えてしまったのです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/17f1efe8e7035d434fb867af54b322c61bde909d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]