墜落の午後6時56分 遺族ら黙とう
1985年8月12日、群馬県上野村の御巣鷹の尾根で発生した日本航空ジャンボ機墜落事故の40周年を迎え、事故で犠牲となった520人を悼む追悼慰霊式が行われた。慰霊の園には、遺族を中心に228人が集まり、事故発生時刻の午後6時56分に黙とうを捧げた。宮沢淳子さん(65歳)は、亡き父を悼むと共に、誕生日を迎えた長男とともに参列。
日航によると、この日は82家族283人が慰霊登山を行い、年々高齢化が進む中で、次世代の家族と共に事故の記憶を継承しようとする姿が見られた。
事故から40年が経ち、遺族たちが今日も犠牲者を追悼し続けているその姿勢に、私たちは深い敬意を表さざるを得ません。人々が大切な命を失い、その痛みを抱え続けながらも、事故の記憶を風化させず、次世代に伝えていこうという姿勢は、現代社会における私たちの責任そのものでしょう。
しかし、その裏に隠された問題は依然として解決されていません。悲劇的な事故を繰り返さないためには、航空業界の安全管理体制を根本的に見直す必要があります。これには、徹底した機材の点検、安全性の高い運航基準の設定、そして訓練や教育の充実が不可欠です。さらに、事故の背後にあった組織の文化、特に情報共有の欠如と過剰な権威主義に対しても、強い改革が求められます。
これらの問題を解決することが、犠牲者への真の尊敬に繋がるのです。
今後も事故の記憶を未来に伝えていくため、過去の悲劇から学び、同じ過ちを繰り返さないようにする社会を作るために、私たち一人一人が積極的に関わっていかなければなりません。
ネットからのコメント
1、日航機事故から遡る事14年。私の近所に全日空機が落ちて来た。正確には空中分解してバラバラになって辺り一面に降って来た。夏休みのプールで聞いた、自衛隊機と接触し爆発したカミナリのような音は今でも忘れられない。7月30日の暑い夏の昼さがりの事だ。実家が経営していたアパートの住人は県警機動隊員。皆駆り出され、皆げっそり痩せて半月後戻って来た。理由はマムシと高い樹上に刺さったご遺体を回収する苛酷な日々の所為。今では記事にならない程昔の出来事だが、生きてる限り伝承はして行こうと思う。御巣鷹の事故も悲惨だが、人が降って来た雫石の事故もまた悲惨だ。毎年慰霊の森に訪れる人も少なくなっている。
2、色々ありますが、機長さんは最後までお客様を助けてやる気持ちだったはず。
ダッチロールでコントロールしていたのは凄いですキャビンアテンダントも墜落ギリギリまで乗客を対応してた。4人も助けた乗務員は凄いと思う。亡くなった方へご冥福をお祈りします。
3、40年前、当時、私は小学生でつくば科学博の帰路に羽田空港で当該便をキャンセルして、新幹線で家路に着いて、帰宅後に事故の一報を歌のトップテンを視聴して知りました。もしかしたら自分自身含む家族全員、当該機に搭乗して、この世にもういないかも知れない恐怖心と、キャンセルして空いた座席に搭乗した誰かが亡くなられたのだと思ういたたまれない心情が、この8月12日になるとこみ上げてきます。当日も子供心に、ニュースを見ると伝わる緊迫感とともに、締めつけられるような圧迫感と夏だからか、異様に喉が渇く息苦しさを40年過ぎた今でも覚えています。亡くなられた皆さまに、合掌。
4、日航ジャンボ機墜落事故から40年、坂本九ちゃんは星になって地球を見守ってくれているだろうか。520人の尊い生命は帰らないけど、安全第一の礎になって活きていると思いたいです。
隔壁損傷の本当の原因はわかりませんが、運輸の安全に万全を期す最大のきっかけになったと思います。今後も各部署が責任ある仕事をして、安全に努める事を祈ります。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/278ce2a139fc674656a4d3145e696deb4189df7a,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]