日航機墜落事故は、1985年8月12日に群馬県の御巣鷹の尾根で発生しました。日本航空123便は520人の命を奪った悲劇的な事故でした。事故発生後、自衛隊のパイロットたちは墜落機体を発見し、当初は誤った情報の中で捜索を行いました。午後7時20分ごろ、炎上する機体が確認され、翌日には自衛隊第一空挺団が生存者の捜索を開始。絶望的な状況の中、驚くべきことに生存者が発見されました。
その後、隊員は急性ストレス障害に苦しみましたが、長年の後にその経験を語るようになりました。40年が経過した今も、この事故の記憶は消えず、事故の教訓が「空の安全」に繋がることを望む声が続いています。
コメント:今回、改めて当時の悲惨な状況が浮き彫りになりました。自衛隊のパイロットたちは、極めて困難な環境の中で必死に捜索を行い、残酷な現実を目の当たりにしながらも、最善を尽くしました。多くの命が失われたこと、そしてその後の人生を生きた遺族や捜索に従事した隊員たちの心の傷は、決して忘れてはならないものです。40年という月日が過ぎても、事故の教訓は「空の安全」に繋がっていることを確信し、その経験が風化しないようにすべきです。
ネットからのコメント
1、新証言とか映像とか書かれてるのですが、ネットメディアでは少数ではあるもののずっと前から取り上げ、特に当時携わった自衛隊の方々が話されてきた事です。
逆を言えば、ここに至るまで、報道として立場ある放送局・新聞社が真実をねじ曲げ、報道しなかった姿勢が問題あるのではないでしょうか?
2、事故当時、私は小学5年生でした。毎年母の実家である神戸市北区で過ごしていました。夜テレビ番組中に急にニュースに切替わり墜落した事をやっていたと思います。あれは、夏のある朝、近くの公園にラジオ体操に向かって歩いていると朝から葬儀用の花が玄関に並んでいました。しかも、公園までの道なりの両側の家々で同時期に葬儀の準備が行われておりました。なんとも異様な光景が今でも忘れられません。それから、数年後私も自衛官になり北海道の奥尻地震や遊ラップ山救難隊ヘリ墜落やRF4戦闘機墜落などに場外救難活動に出動しました。事故に遭われた被災者のご冥福をお祈りしています。最後に悲惨な事故が無くなる事をご祈念申し上げます。
3、当時、墜落した後のテレビの報道では、墜落現場が特定できないと言うような感じで、また情報がかなり錯綜しており、実際はこれだけ早く墜落場所が自衛隊によって特定されていたと言うことに驚きでした。
ただ、墜落場所が特定されていても、あれだけの急な山深い尾根で、また真っ暗な夜間でやったことも災いして救助活動には至らなかったのでしょう。本当に残念だと思います。生存者の話では、墜落語しばらくはかなりの人がまだ生存していたとの情報もあります。結構うめき声や、助けを求める声などが聞こえてきたとの事でした。改めて亡くなった520名の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
4、事故を風化させないこと以上に事故からどのような教訓を得たのかが大事です事故の原因は、ボーイング社が同一機体のしりもち事故後に適切な修理をしていなかったことが後に明らかになっていますが、当時のマスコミと警察は日航の点検不備を主要な原因として、当時の良好な日米関係に配慮しボーイング社への追求もろくにを行わず、日航は日航で訴追さえ行わず、遺族への賠償金支払いで幕引きを図ったことは記憶されてしかるべきことかと思います。いまなお多くのメディアで事故原因は必ずしも明確でないという報道さえあるのは驚きです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/84ec0b8f90c84e5aa8114ebbd0adea197026f3e2,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]