ひし美ゆり子さんは1947年、東京都で生まれました。1966年に芸能界デビューを果たし、瞬く間に注目を集めました。彼女の代表作には『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』や『仁義なき戦い 組長の首』などがありましたが、特に印象に残るのは『ウルトラセブン』でのアンヌ隊員役でしょう。
しかし、このアンヌ役は急遽決まったものだったのです。当時、豊浦美子さんがこの役を辞退したため、撮影の前日にひし美ゆり子さんが急遽抜擢されました。コスチュームのサイズが合わないまま撮影が進んだ結果、彼女のスタイルが際立つシルエットとなり、アンヌ隊員は視聴者の心に深く刻まれるキャラクターとなりました。彼女自身は、当時その人気をあまり自覚していなかったそうですが、映画館で子供たちから「アンヌ隊員だ!」と声をかけられたことで、人気を実感したといいます。
そんな人気女優であるひし美ゆり子さんには、ある衝撃的な噂がつきまとっていました。それは、俳優の安岡力也さんに無理やり襲われたというものです。この噂は映画『不良番長』の撮影中に発生したもので、一時、メディアを賑わせました。
当時、ひし美ゆり子さんが突然姿を消し、スタジオが騒然となったことがあり、スタッフが探した結果、安岡さんの楽屋で彼女が見つかったと言われています。
しかし、この出来事は後にひし美ゆり子さん自身が完全に否定しています。彼女は「噂は真っ赤な嘘です」とはっきりと述べ、この噂は誤解であったことを明かしました。安岡力也さんが亡くなった後も、この噂は一部で語り継がれていましたが、事実ではないことが明らかになりました。
1975年、突然のお見合い結婚を機に、ひし美ゆり子さんは女優業を引退しました。しかし、この結婚生活は長く続かず、最初の夫とは離婚。その後、1979年に中華料理店を経営する男性と再婚し、再び新たな生活をスタートさせました。彼女は料理店の経営にも参加し、経理を担当していた時期もありましたが、その後は夫と娘に店の経営を任せ、ゆったりとした生活を送っていたといいます。
しかし、ひし美ゆり子さんの人生には悲劇もありました。最初の結婚で生まれた長男が1991年、自転車事故で亡くなってしまったのです。当時、まだ中学生だった彼は車に轢かれ、命を落としました。母親であるひし美ゆり子さんにとって、この出来事は非常に辛いものであり、その悲しみは計り知れません。彼女はこの出来事について長らく語ることがありませんでしたが、後にブログで明かされ、多くのファンが驚愕しました。
再婚後の彼女は、家族と共に料理店の経営を成功させ、1987年には台湾料理店「大北」をオープンしました。さらには、2005年には「アジアン大北」というエスニックレストランを新たに開店し、事業を拡大していきました。彼女自身が経理を担当することもありましたが、次第に経営は夫と娘に任せ、彼女は少しずつ第一線から退いていきました。
しかし、2019年に経営していたお店は閉店し、同時に37年の結婚生活にも終止符が打たれました。詳細な離婚理由については公に語られていませんが、長年続いた結婚生活が突然終わったことは、多くのファンにとっても驚きの出来事でした。
現在、ひし美ゆり子さんはメディアへの露出こそ少ないものの、公式ブログやX(旧Twitter)などを通じて近況を報告しています。ブログの更新頻度は少ないものの、Xではほぼ毎日投稿しており、ファンとの交流を続けています。また、彼女は時折、トークイベントにも参加しており、その美しさや元気な姿がファンを驚かせています。
近年では、俳優の中村獅童さんや映画監督の押井守さんが彼女のファンであることを公言しており、特に押井守監督は彼女を自身の作品に起用したこともあります。映画『立喰師列伝』では、金魚の入れ墨を彫った大胆な役柄を演じ、その美しさが高く評価されました。