10月18日、元プロ野球選手の大橋穣氏が都内の自宅で死去したことが27日に報じられました。79歳でした。日大三から亜細亜大学を経てプロ入りし、1968年にドラフト1位で東映に入団。阪急へ移籍後は名遊撃手として7年連続でダイヤモンドグラブ賞受賞し、数々のタイトル獲得に貢献しました。
引退後も国内外でコーチとして活躍し、最近はスポーツ観戦を楽しんでいました。葬儀はすでに執り行われており、夫人は「運命を受け入れる主人らしい最期だった」と語っています。
大橋穣さんの訃報に、心からのお悔やみを申し上げます。多くの人々に愛され、影響を与えた彼の活躍は、決して色あせることはありません。比類なき守備力と確かなバット捌きに多くのファンが魅了されました。長年のキャリアを通じ、私たちに多くの感動を与えてくれた大橋さんに、改めて感謝を申し上げます。
芳子夫人が言うように、彼の最期は彼らしいものでした。大橋さんが残した温かな記憶や功績は、今後も私たちの心に生き続けるでしょう。私自身も、大橋さんの試合を見るたびに勇気をいただいていました。
そういった瞬間があったからこそ、彼の偉大さを感じることができました。今はどうかご自愛ください。
ネットからのコメント
1、現役時代を見たことはないのだけど、その守備力は球史の中でも際立っていたのだと思います。西宮球場の芝を大橋仕様として広く刈ったというのは有名ですが、DH制がなかった時代に投手より少し良いくらいの打撃成績ながら常にレギュラーであり続けたという実績は歴代名ショートと比較しても一目置かれるものでしょう。マジでどんだけ上手かったんだ?野球界の土台を支える偉大な野球人でした。ご冥福をお祈りします。
2、今は人工芝のグラウンドがほとんどで、昔のことを思ったら簡単なもの。大橋さんの頃はそんなのなく、土のグラウンドばかりだから、打球は弱まり、打球に追いつける確率は今より高い。しかしとにかく守備範囲が広く、肩が強い。特に三遊間の打球には滅法強かった。間違いなく歴代No.1の遊撃手ですよ。
3、あの辛口の広岡さんが日本シリーズの勝利インタビューで、大橋さんの守備を指して「セ・リーグ相手なら抜ヒットになるはずの打球が抜けない…さすが阪急!これに戸惑った」と言っていました。
これが全て。入団時の期待度からしたら、残した数字は不本意だったと思いますが、その守備力で伝説の選手として記憶されることになった。阪急という強いチームにいたからこそ、存在価値が輝いたと思います。
4、よく通った西宮球場で大橋さんの華麗な守備を幾度となく生で見ました。当時、守備範囲の広さ、肩の強さ、正確な捕球と送球、まさにピカ一でした。野村さんが当時黄金時代の阪急で誰が欲しいかと聞かれた時に大橋選手の名前を出していましたね。当時の阪急黄金時代を支えたのは強固な守備力で大橋・マルカーノの二遊間、福本、蓑田、ウィリアムスの鉄壁の外野陣は守備を観るだけでも入場料を払う価値がありました。大橋選手は阪急が広島を破って初の日本一になった時、打撃でもビックリするくらい打ちまくったのを覚えています。安らかに。ご冥福をお祈りします。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/9ffc6bf779b77757add42604e6059efeba1864dd,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]