東日本大震災発生直後、津波被害を免れた石巻赤十字病院が地域医療の最前線となった。震災当日、院内は静けさに包まれていたが、交通網寸断で患者が来られなかった状況を反映していた。翌日、傷病者が急増、1250人を超える日があるなど、通常の20倍以上の救急搬送を記録。佐々木麻未さんは当時23歳、看護師2年目として震災対応に臨んだ。専門外業務の連続に無力感を抱いた彼女は経験を糧に、災害看護専門看護師資格を取得。避難所支援や制度改善を通し、15年かけ「想定外」を「想定内」に変える取り組みを続けている。

東日本大震災の現場では、人々が想定を超える苦しみに直面しました。その中でも、病院スタッフ全員が膨れ上がる短期間の医療需要に立ち向かい、貢献する姿勢には深い敬意を抱かざるを得ません。しかしながら、制度面の不備や準備不足が医療現場に過重な負担を強いた点は無視できません。
完全な地域医療の崩壊を防ぐためには、一見堅牢であっても被災環境にさらされる制度の弱点をしっかりと検証すべきです。

まず、防災医療手順の全国的な標準化を強化し、各地域で普及させる取り組みが必要です。一方で被災地特有の領域を予め調査・反映させる柔軟性も鍵となり得ます。さらには資源の迅速な流通網を確保する法的枠組みを設けるべきです。

現地で活動し続ける医療従事者には頭が上がりません。しかし現在も、避難所での住環境改善や支援物資のスピード、地元行政との連携強化が課題として残ります。痛烈に感じるのは災害教訓が一回きりの出来事ではなく、過去から未来へ積み重なる知識である点です。
ここで制度改革が進まない限り、「想定外」は常に命を脅かす障害として立ちはだかるのです。















ネットからのコメント
1、壮絶でしたね。知人の医師は、総合病院が津波に飲まれ、極寒の屋上で半袖スクラブ一枚のまま、雪の降る中一晩中診療にあたった経験を話していました。確かに、診療器具がほとんど無く、出来ることがほとんど無かったとおっしゃっていた記憶があります。この記事の看護師さんも、何も出来なかったという自己評価をされていますね。患者を守り、自宅にも帰らず専門外の仕事もひたすらこなし、何も出来なかったどころかその働きにどれだけの人々が救われた事でしょう。これだけ大変な中、自己犠牲を払って多大な貢献をされたのにも関わらず、あまりの惨状のせいで、自己否定感が強く残ってしまっているというのは居た堪れません。どうか、何も出来なかったなどと自分を否定しないで欲しい。きっと、同じ心境に陥った医療スタッフは大勢いるのだろう。頑張った全てのスタッフに、感謝と敬意を払います。
2、赤十字病院、今の場所に移転したのが震災の約5年前。津波の被害を受けた市立病院の旧北上川対岸に旧病院はあったから、移転が遅ければ市立病院同様、津波被害に遭った可能性があったということになる。
この震災で、ハザードマップの重要性(震災で改定された部分も多いが)を改めて感じさせられた。自分の日頃の生活の中で、自宅はもちろん、勤務先、通勤経路等、津波をはじめ、洪水、土砂崩れも含め、しっかり確認することも重要なんだと改めて思った。
3、石巻赤十字病院の皆様、本当にありがとうございます。妻方の本家が石巻にあり、結婚した際に義父から石巻の本家で結婚のお披露目をしたいとのことで、親族約100名の前でお披露目会をしたのは21年前。その時に明るく迎えいれてくれた親族も数名震災で亡くなり、2名は行方不明のまま。第一回石巻復興マラソンに参加した時は義父の兄が赤十字病院に入院しており、お見舞いにも伺いました。あの日から15年。時間は止まることなく過ぎていますが、あの日の恐怖と復興の力を次世代に繋いでいきたいですね。
4、すごくわかりやすく伝えられた記事だと思います。当時の壮絶な状況、その中での気持ち、心理的なもの、その後の教訓など、経験した者でないとわからない事ばかりだと思います。次の世代、そのまた次の世代へと伝え継承していかなければならない内容だと思いました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/fb8857d4011a6b27a46de04ea03a8171a71fe632,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]