1991年、長崎県雲仙・普賢岳で発生した火砕流で43人が命を落としてから、6月3日で35年が経った。火砕流の犠牲者を追悼するため、島原市の「北上木場農業研修所」跡地では黙祷が行われ、遺族らが慰霊の鐘を鳴らした。故人の息子である山下譲治さん(当時中学生)は、父を失った喪失感は今も薄れていないと述べ、火山災害への備えを次世代に伝える重要性を強調した。一方、母の睦江さんは夫の記憶を風化させない努力を語った。普賢岳は198年ぶりに90年に噴火し、その後の火砕流で多くの命が奪われた。火山活動は96年に終息宣言がなされたが、地域は失われた命と向き合い続けている。

徳なる遺族や市民が慰霊行事を継続していることに尊敬の念を抱きます。しかし、35年という歳月の中で、悲しみや喪失感は決して消えるものではありません。それでも前を向き、火山災害の教訓を次世代に伝えようとする遺族の姿勢には、深い敬意を払います。
決して「忘れる」ことが目的ではありません。ただ紡ぐ「記憶」が、未来への生きた糧となることを願っています。
災害は私たちの力で完全に阻止することはできませんが、事前の備えや避難計画によって被害を最小限に抑えることは可能です。また、記録を後世に残し、地域の危険要素と向き合い続ける姿勢が、他の地域社会にとっても大きな学びとなることでしょう。未来の世代に対する思いを支えに、忘れてはならない命の日々に思いを馳せながら、地域一丸となって記憶を育んでほしいと願います。
ネットからのコメント
1、犠牲者の半数近くが報道関係者です。これにはスクープや決定的瞬間をモノにしようと報道関係者がなかなか避難しないことで巻き添えになったタクシー運転手も含まれます。また、避難したはずの消防団員の方たちの中には、報道関係者が居座るせいで引き返し、犠牲になった方もいます。この記事はそういった事実に一切触れず、まるで避けようのなかった自然災害の話にすり替えているように思えます。ただでさえ普段から偏向報道ばかりしているところへきてこういうところからも、メディアへの不信感が高まります。
2、マスコミがルールを守って取材してれば、消防団が巻き込まれることがなかったわけで、報道の自由を盾に暴走したマスコミによる人災だったと言っても過言ではないだろう。あの当時は溶岩ドームが崩壊するタイプの火砕流は、火山の専門家でもほとんど見たことない幻の災害で、世界初となる貴重な映像を収めようと報道合戦が加熱してた。それで避難区域となってた定点と呼ばれる場所に、マスコミは専門家の警告も聞かずに立ち入っただけでなく、民家に勝手に入って電気まで盗用したりと犯罪行為まで堂々と行ってた。そのため消防団や警察が見回りせざるをえず、またマスコミを送り迎えするタクシー運転手も待機しないといけず、結果的に巻き込まれてしまった。つまりマスコミが一般市民の命を奪ったも同然なのに、当時の報道ではマスコミばかり英雄扱いで追悼して、巻き込まれた消防団員のことはノータッチに近いぐらいだった。
3、島原市が避難勧告を出し、九大火山観測所の所長も大変危険だと警告を繰り返していたにも関わらず、火砕流の先端部分までマスコミが居座り、それに付き合わされた消防団や防災担当者、タクシー運転手まで翌週の大火砕流に巻き込まれてしまった。
この頃からそうだったのかもしれんが、マスコミって自分たちの失策を本当に振り返らないよな。ご遺族の動向以外にも省みて伝えるべきことあるだろうが。
4、正しい伝承をお願いします。これら犠牲になった方々の多くは、立ち入り禁止規制をしているエリア内に、誤った報道の自由の名の下、警告を無視して立ち入った報道関係者の巻き添いで尊い命を落とした、警察・消防・消防団の方々です。マスコミが規制を守ってさえいれば、犠牲にならなかった方が多くいらっしゃいます。その点を正しく報道・伝承することが必要だと思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/9c6a264144e31ad93fa21f832efc246f2d389ae7,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]